なんでわたしここにいるんだろう?布団持たされて…。
苫小牧で小児専門歯科医として働く山本友絵さん。
彼女は小学校卒業後に親元を離れ、寄宿舎から藤に通いました。
人生で初めての、シスターや他人と暮らす生活。
彼女の寄宿時代は、どのようなものだったのでしょう…。
藤に入学した理由を教えてください。
私は苫小牧出身だったのですが、実は藤のこと、全く知らなかったんです。両親はもちろん藤を知っていましたし、知人から、「女の子がいるなら、素晴らしい学校だから是非。寄宿もあるし」とすすめられ、私を藤に行かせようと思ったらしいです。親が共働きで家にいない時間が多く、中学生になるにあたって不安だったみたいです。それに一人っ子で、家にひとりでいることが多かったので。
それは、何年生の時でしたか?
小6です。受験勉強なんか全くしていないところに、いきなり「受けるだけ受けたらどう?」と。まあ、受かったら、選択肢はなかったですね(笑)。
いざ受かったら、「よし、行くか」と。
「え~?わたし家出るの?!」みたいな(笑)。
よくわからないまま。
はい。もう、何が何だかわからず。母と布団を買いに行ったり、洗濯用のたらいやバケツを買いに行ったり。小学校の友達と別れて。あれよあれよという間に。もう、大変だったですよね。人生ひっくり返る、みたいな。「あれ、なんでわたしここにいるんだろう?布団持たされて…」
気が付いたら布団を持って札幌に来ていた。
そうそう(笑)。
入学のためにはじめて寄宿に来た日、覚えていますか?
一番覚えています。衝撃でした。家でひとり好きなことしていた自分が、大勢の女子中高生と暮らしていくとわかった瞬間。でも、その時一緒に寄宿に入った同級生に助けられました。30 人以上いたので。
入舎日は、シスターが出迎えてくれたんですか?
そうですね。私たちのときは舎監の先生がシスターで。
シスターに会ったのはその時が…。
初めてです。教会とかも行ったことなかったですし。
寄宿一年目は色々と大変なのですが、何かトラブルはありませんでしたか?
トラブルということではないですが、まずは入って、上級生の雰囲気に圧倒されました。
通り過ぎる時は、お辞儀をしなきゃいけないし。伝統というか…気軽に話せるような感じではなかったです。でも、だんだん出身地域が近い先輩から交流が増えていきました。
いつ、寄宿生活に慣れましたか?
1年生の1学期中にはもう慣れていましたね。
早いですね!
もうここにいるしかない、という自覚を持ってからですね。当時は携帯があるわけでもないので、親には公衆電話で連絡するしかないし、外の情報もわからない(笑)。でも、学校はすぐ目の前で、通学時間もかからないし、使える時間はたっぷりあって、慣れてしまうと毎日楽しかったです。
泣いたことは?「家に帰りたい」って。
そういう子はたくさんいましたね。わたしはみんなと一緒という全然違う世界に来て、楽しかったですね。今までは一人でTVを見て過ごしていたので。みんなとしゃべったりって、いいなって。
寄宿で辛かったことは?
自分で決めなきゃいけないことがたくさんあるということが初めは大変でした。黙学にしても、初めは2時間どうしたらいいか迷ったけど、誰もアドバイスくれるわけではないから、自分で時間配分しなくてはいけなかったです。
寄宿って全部が決まっているから、決めなくていいのかな、と思いがちですが…。枠が決まっているからこそ、自分で決める必要があるんですね。
食事やお風呂、勉強の時間は大まかに決まっていますが、残りの時間の使い方は自分で決める必要があります。ごはんの前に何を終わらせるか、お風呂の前に洗濯して、お風呂あがったら干そう、そうしたら黙学に間に合うな、などなど。
とてもいい話ですね。枠が決まっているから、枠内を自分で決めなきゃいけない。
いつも時間を意識して行動していたと思います。学校が歩いてすぐなので時間がある分、自分で最適を決めるんです。お金の使い途も、何百円はおやつにあてて、本を買って…と、1ヶ月のやりくりを中1 から。おかげで、決断力や判断力がつきましたね。
朝食後は、全員掃除や食器洗いの割り当てがあったので、学校の準備も朝食前に終わらせなきゃいけなかったり。
いま、食器洗いしないです。
わたしたちの時は、全員の食器を洗ったんですよ!食器洗い係というのがあって。中学から各学年2名ほど交代で。
朝ご飯のあと、学校に行く前に全員分の食器を…?!当時だと、180 名分くらい…?!
すごい量ですよ(笑)。ひたすら茶碗を洗うんです。食器洗い用シンクが並んであって、お湯がはってあります。そこで食器を洗う人、ゆすぐ人に分かれて。ひたすら自分の割り当てられた仕事をして、それから学校に行くという。
今の若い子はできないと思いますよ。まず、シンクの汚れた水のなかに手を入れられないと思います…。
いま、お弁当箱も洗わないんですか?
洗わないです。お弁当箱をワゴンに戻すだけです。
戻す?!やっぱり時代が…。
今より、寄宿も大変な時代でしたね。
多分、家で一人でぬくぬくといたら、こんな経験もできなかったなと。
では、楽しかった寄宿の思い出は?
本当に些細なことなんですが、お菓子食べて、わいわいおしゃべりしているのが、なにより楽しかったです。同学年の子たちはみんな、あっちの部屋行ったりこっちの部屋行ったりが普通でした。TVはないし、携帯もないから、みんなで集まって話すしかないんです。自分たちの思っていることを伝えたり、この漫画面白いよって情報交換したり。そういう中で、他人の思いや考えを知る機会を得られたと思います。
寄宿での、シスターとの思い出は?
齊藤シスターには本当にお世話になりました。中高の時期、私体調が変わりやすく、熱が出たり、お腹が痛くなったり。それが夜中に出るんですよ(笑)。何度も齊藤シスターを起こしました。シスターの部屋をノックして「具合悪いよ、お腹痛いよ」というと、必ず起きてきてくれるんです。夜中の2時、3時なのに。
ベールと修道服に着替えて?
そうなんです、そうなんですよ!今思えば大変なことを…。でもその時はお腹痛いということでいっぱいで。訪ねると、嫌な顔せず「どうしたの?」って必ず出てきてくれて。「大丈夫だから早く寝なさい」と言われたことは一度もなく。今回の取材を受けるにあたって、シスターからいただいたカードをみて、このことを思い出したんです。ここに、「おなかは痛くなりませんか?」って書いてあるんですよね。これ、一番最後の高3の時にもらったカードで。
最後のカードに書くといくうことは、もしかしたら、シスターのなかで山本さんの印象は「よく起こされた子」かもしれないですね(笑)。
(笑)ほんとうにそう。
(カードを見ながら)この写真はどなたが撮ってくださったんですか?
多分、シスターや寄宿の先生たちが撮って、現像してくれてたんじゃないかって。
きれいな字ですね…。
毎年一人一人に、このカードを作ってくれていたんだと感動しました。
本当に愛情深く、一人一人のことを思って育ててくれました。
ちなみに、いつぐらいまでお腹痛くなったんですか?
高2…3くらいまで?
けっこう痛くなってましたね(笑)。
心から謝りたいです…。
それでは、寄宿を考えている小学生の親御さんにメッセージをお願いいたします。
地方だとなかなか踏み出せない部分が多いと思うんですが、入ると決して地元だけでは出会えなかった友達、先生と出会えます。そして、全道各地に一生の友達ができますよ!
撮影場所:北栄こども歯科
インタビュアー/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/松永 大輔
デザイン/清水 麻美