自由な6年間の中で、今の道を選ぶことを決めることができた
夢を叶え、建築業界でバリバリ働く姉。
大好きな平安文学の研究に邁進する妹。
7つ違いで同じ時期に学校生活を送ったことのない姉妹の、
藤で培った「共通項」とは…。
入学の理由を教えて下さい。
私が小6の時父の仕事で岩内町にいたんです。寄宿があって、母が藤大出身で…そんなところあたりから、多分母が勧めたんだと思いますね。
寄宿生だったんですか?
そうですね、でも入学後1~2年です。私の場合は1年くらいで父が札幌に戻ってきたので、寄宿を出たんです。
中1で寄宿に入って、大変でしたか?
いや、楽しかったですよ。ホームシックとかはなく、苦労もしていないと思います。
沙東子さんは、お姉さまが中学入学と同時にいなくなって、寂しかったですか?
それまでそんなにかまってもらってなかったので…(笑)。
7歳離れているので(笑)。
では、沙東子さんが入学したときは、札幌の自宅から?
いえ、父がまた岩内町に転勤になった時期があり、入学後から数年、寄宿にいました。
2人が中学入学のとき、お父様はなぜか岩内にいるという…。
(笑)
沙東子さんは、寄宿、大変でしたか?
家よりのびのびしていました(笑)。私も、楽しかったですね。
2人とも、自立心に溢れているんですね。
教育上、親が厳しかったんですね。そんなこともあって、開放感が(笑)。
でも、厳しさは大事ですよね。いつか社会にでていく、ということを考えると。
高校卒業まで、携帯を持たせてもらえなかったとか。特に、寄宿生はみんな持っていたので。私しか持っていない人がいなく。ゲームとかも、もってなかったですし。
今となっては感謝です。
では、お2人は、藤の通学時期が重複しなかったのですね。
そうなんです。私が卒業して、沙東子が入学。
姉妹で、藤の話はしますか?
卒業してからけっこう経つんですが、妹から「藤の学祭に行ったよ」とか。いまだに、卒業して 10 年経ちますが、「藤」というワードはちょこちょこでますね。
共通の先生に習ったことは?
何人かは。
椚山先生、三島先生、菅原先生…。あ、川本先生は4年生の時の担任でした。
川本先生が担任!
おもしろかったですね。修学旅行も一緒にいって、そのとき、広島の宮島の杓子をずっと持っていたのを覚えています(笑)。
「努力」とか書いている?
そうそうそう。あれをずっと持っている。
気に入ったんですね、きっと。
ずっと素振りしていました。杓子で。
木村計三先生も、共通?
計三先生は、授業はないけど課外講習でお世話に。あとカナダの海外研修で引率していただきました。それで、仲良くなって。
仲良く?!
引率が計三先生と丸山先生で。あのお2人とカナダに一緒に行けたのが、すごく思い出に残っていますね。計三先生とはお会いしたら必ずカナダの話題に。あ、丸山先生とは、昨年学校へ伺ったときにお会いできました。
私、翔子先生からは「安岡妹」という認識でした。
翔子先生には2年ぐらいお世話になりました。最後の受験間際に特訓…もう個人授業みたいなことをしていただいたり。一時FAXでしていただいたことも。長期休み中に。
それはすごい!
本当に翔子先生にはお世話になりました。
翔子先生に鍛えられたのなら、英語はばっちりですね。
私も翔子先生に教えてもらってから英語すごく伸びました。
瀬戸先生は習ったことある?
1回あります。
私、瀬戸先生が1年生の時の担任で。
入学後、瀬戸先生に担任いただけるなんていいですね。
それですっかり瀬戸ワールドに引き込まれて。本当にありがたかったのが、英語への壁ゼロでしたね。もう、スッと…。
瀬戸先生の、上品でかつお茶目な世界ですね。
黒板も美しかったし、プリントも美しかったし、見目も美しいし。本当にキラキラ、憧れの先生。入学して、楽しくて楽しくて仕方がなかったですね。
瀬戸先生は卒業まで私に姉の話をしたことがなくて。今思うと、プレッシャーを与えないようにしてくれたのかなっていう気がしますね。
そういう配慮をしてくださると思いますね。我々はつい、「あ、安岡さんの妹じゃん」と…(笑)。
「答辞をよんだ安岡の妹」って。
色々やらせていただいてたので…。
習っていない先生にも、「あ、安岡って、妹か?」みたいなことがけっこうあったので(笑)。すぐに覚えていただけるのはありがたかったですけどね。
瀬戸先生は、「その人」として見たいと思ってくださってると思いますね。自分が、ひとりひとりを見る学校出身だから。
あ~。
だって、藤はそうでしょう?
瀬戸先生は、「沙東子さん」って下の名前で。
「結婚したら変わるかもしれないから、わたしは下の名前で覚える」っておっしゃってました。
深い…(笑)。
通っている時期は重なっていないですが、「ここ共通しているな」と思うことは?
なんでしょうね…。高平先生に中1で地理を教えていただいた…それは全員通ってきて、何かあると思いますね。私たちの1コ下くらいまでなんですよ。入学して中1の主任が高平先生って。同じことを中1全クラスでやって、同じことを習って…。
そうですね。あれは根っこにあるかもしれませんね。
高平先生、約 50 年藤で働いていましたから。生き字引みたいな方で。
そこで習ったことは、みんな何かは覚えているはずです。「藤の歴史を知っている」という。(藤女子)大学は、入学式の時に歴史の話はされるんですけど、やっぱり全然、3人のシスターとか他の学生は知らないですし。キノルドも誰だかわからない。
藤中高出身者なら、バザーの話から滔々と語れますよね。
第一次世界大戦後のマルクの暴落から(笑)。キノルド司教様の本名も言えるし。そういうあたりが出来る。そこが共通で、卒業生が持っているものなのかなって。
共通の「物語」が語れるんですね。私は公立出身ですが、同じ学校出身とわかっても、「校歌」くらいですね…。
私は、たとえば梅干し弁当の日ですね。
ハッピーランチデー。今もあります!
募金活動の一環で行って。ああいうことを当たり前に、伝統として続けていますよね。そういうことを、スッと、共通の経験として持っている。
藤と聞いて、浮かぶことはなんですか?
最初に浮かぶのは、制服ですね。学生の時は、「長いな、黒いな」と思って、あんまり好きじゃなかったんです(笑)。今見ると、可愛いんですけど。当時は、重いなって。
生地がいいんですよ。
ひだも多くて(笑)。あの制服、長いと可愛いんですよ。短いと、可愛くないんです。黒タイツの足がにょきっとなってしまうんですよ。当時は、試行錯誤をしながら(笑)…若気の至りです。
沙東子さんの藤イメージは?
私も制服ですね。特に冬の方が好きで、移行期間ギリギリまで黒を着ていました(笑)。
インタビューで「宗教の授業」について話してくださる卒業生が多いのですが、沙東子さんはどうですか?
覚えているのは、5年のときの椚山先生の授業で、外国で起きた事件について授業で読んで、「どう思いますか?」。それに対して私たちは感想を書いたんですが、次の時間に先生が、「起こった国がどういう歴史を持っているだとか、そういうことを踏まえて考えなきゃだめですよ」って。たしか、南アフリカで起こった事件だったと思うんですよ。私たちはあまり考えずに「差別はよくない」とかそういう感想を書いたんですが、それ以上のことを考えないとこの事件の本質は見えない、というのを習ったことがあって、ハッとしました。
思考を深めていく、それが「寄り添う」につながるという授業ですね。
そうです。
卒業してみて、「藤だからこういう考え/振る舞いなんだな」ということはありますか?
藤に限らず女子校一般かもしれませんが、思春期の時期に、異性の目を気にせず好きなように好き勝手やらせてくれていたので、個性豊かに育ったと思いますね。進路指導でも「こっちに行きなさい」というのもないじゃないですか。「それやりたいの?がんばってね」って。本当に、伸び伸びさせてもらったなって。
やはり、女子校共通ですかね。
共通ですね。大学はけっこう男臭いところに入ってしまったんですけど、大学時代は「男性とどうやって話したらいいんだろう?」ってわからなくなった時期もありましたね。会社に入って、さらに女性が少ない世界に入ってしまって(笑)、どんどん男臭い中に進んでいってるんですけど。「わたし女だから」と引くことはしないし、全然平気なんです。「わたしはやりたいようにやる。わたしはわたしだ」と思ってやっていますね。
女子校のいいところって、見られているという意識をもたず、他者の目を気にしないでいられる、そういう時期を一生のなかで数年間でも持つことができることですよね。
女子校というと、「女子校って怖いんじゃない?」「いじめとかあるんじゃない?」って言われるんだけど…。
すごい言われる。
逆ですよね。
色んな人がいて、それぞれタイプやグループがあるけど、それをお互い受け入れて。趣味のジャンルが違う子同士でも、誰かを排除するとか、それはないじゃないですか。
卒業するとき、わたし先生方にメッセージを…。
すてきでしたね。藤の花の。
あれを友人とやろうか、という話になったときに、話したことのない人たちも協力してくれて、みんなでひとつのものを作ることができて、最後卒業するときに「ああ、いい学校にいたな」って。
女子校だと、6年間自由でいられる。でも、その6年間の途中で、わたしは今の道を選ぶことを決めることができた。それがすごくありがたかったと思いますね。
女子校育ちだったから、男臭い世界も選ぶことができて、そこでも異性を気にせずやっていけるという、逆説的なことが起こるのかもしれませんね。
まさしくそうですね。だから、男性と肩をならべて頑張って当たり前でしょ、って思うんです。
これ運んで当然でしょ?って。
(笑)全然、そうなんです。
では、この記事を読んでくれた小学生に対してメッセージをお願いします。
楽しいですよ。やっぱりこの6年間、藤で過ごして、先生方も親身に接してくださるので、何事にも代えがたい思い出がいっぱいできると思います。
小学校6年間親しんだ仲間と離れて全然違うところに中1で来るというのはなかなか大変なことだと思うんですが、ちょっと勇気をもって受験をして、面接を潜り抜けて(笑)。
面接あったっけ?まったく記憶にない…(笑)。
圧迫面接じゃないですよ(笑)。
わたしは面接が怖くて…いまだに怖いんです。それが一番の壁!っていうくらい怖かったんですけど。
人はいろいろですね。まったく忘れている人もいれば(笑)。
そうして来てくれたら、楽しい6年間と一生ものの仲間との出会いが待っていると思います。
撮影場所:北海道大学 インフォメーションセンター「エルムの森」
インタビュアー/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/松永 大輔
デザイン/清水 麻美