「『枕草子』、読むからとってきて」
「藤」という伸び伸びとした環境の中で、個性を育んでいった安岡姉妹。
進路実現のために一本道を進む姉と、
目の前にY字路が現れた妹。
2人の「夢」のルーツとは…。
学校生活で思い出に残っていること、教えて下さい。
カナダ海外研修ですね。あれはすごく思い出に残ってますね。
何がよかったですか?
すべてが。ホストファミリーの方もすごく良くしてくれて、数年間は文通をしました。あれが初めての海外旅行で。可愛い子供たちと、いいお父さんお母さんと、おばあちゃんと。同級生の子がお世話になったホストファミリーの家とも交流があって、そこの子どもの誕生日パーティに呼んでもらったりして。別れるときは涙の別れ(笑)。
異文化な感じが。
スーパーに行くだけでも、すごく楽しくて。ビッグサイズの…。
単位がガロン。
そうそう(笑)。牛乳とかね。あと、毎日学校にいって、授業を受けて。日本ではできない体験ができて、いい思い出です。
じゃあ、それが藤での一番の思い出?
いや~、思い出はいっぱいあるんで…。中1の地理巡検とか。北大に足を踏み入れたのはそれが最初なんですよ。あれで、「いいな、ここ!」「この大学を目指そう」と思っちゃったんですね。あと、コーラス部。
部長でしたね。今は、合唱部という名称に変わっています。
私の在学中に、名称が変わったんですよね。
合唱部のほうが名前かっこいいですね。
コーラス部は、1年生から入って引退まで続けました。
なぜ、コーラス部に入部したんですか?
幼稚園から小学校5年生くらいまで歌を習っていたんですよ。コーラス部に入る瞬間の記憶はないんですが、いつの間にか、自然に入ってましたね。学校祭の講堂発表が一大イベントでした。
学校祭が9月の時代ですね。
そうです。夏休みに花川(藤女子大学の花川キャンパス)で合宿があった時代です。
では、お姉さまは合唱コンでは指揮者を?
いえ、歌ってました。私はコーラス部ではずっとソプラノ担当だったので、逆にアルトとかすっごい歌いたくて。
おもしろい!
しかもアルトって人気ないじゃないですか。ソプラノみんな歌いたいじゃないですか。メロディを。メゾ(ソプラノ)とかアルトとか難しくて地味っていう。そこを逆にやってみたいなって。
わたしは逆にメロディ張りたかったので(笑)ソプラノを。1年だけパート決めのときに休んだら、メゾに入れられていて、大変でした。
ソプラノを朗々と歌いたかったわけですね。
そう、のびのびと歌いたかったんです。私は部活ではメゾだったので、メロディを歌うことが憧れでした。
そうやって普段できないことが合唱コンでできたのが楽しかったですね。
沙東子さんの、一番の思い出はなんでしょう?
中3の卒業ノートですかね。
シブい…!何をやりました?
詩を選ぶのと…。
なつかしい…(笑)。
小論文は、その時私は建築をやりたかったので、それをテーマに。
姉の影響を色濃く受けていますね。
大学受験をするときも、直前まで文学をやるか建築をやるかですごく悩んで…。結局、文学を選びましたけど。これはこれで正解だったのかな、と思います。建築をやりたい気持ちも残っていますが…。
じゃあ、お姉さまに建築事務所を開いてもらってそこで…。
文書整理のような…(笑)。
(笑)
姉妹って、そうですよね。妹は姉の影響を受けますよね。
私は自分のやりたい方向に行きましたけど、知らず知らずのうちに妹は影響を受けていたんですよね…。
建築もやりたかったんですが、古典も大好きなもので。なんで古典好きになったかって考えた時に、まず家に古典の学習漫画シリーズがあって。『枕草子』と『源氏物語』と…。
あったね~。
それで、姉が中学で古典を習い始めたときに「『枕草子』読むからとってきて」と言われて、それで『枕草子』を知って読んだんです。
全然わたしの意識のないところで…!
考えてみるとその時からだなって。絵で、平安の世界を見たときに、その世界にはまってしまって。
そうだ。その時から平安時代大好きだもんね。
便覧をみるのが楽しくてしょうがなくて。
あ~、わたしも便覧は好きでしたね。
姉が家に置いている便覧の、装束のページや系図のページばっかり見ていました。入学してマイ便覧を手にしたときは本当に嬉しかったです。
お姉さまは便覧にははまらず?
面白かったですけど、そこまでどっぷりいかなかったですね。
姉との『枕草子』エピソードがきっかけとなって、進路につながったんですね。
そうですね。もうすぐ卒論への準備が始まりますが、平安文学をテーマにするつもりです。
ちなみに、お姉さまの卒業ノートのテーマは?
建築です。
建築に興味をもったきっかけは?
ルーツが2つあって、ひとつは「シルバニアファミリー」。小学校の時に遊び始めたらどハマリして。それが好きな子たちと遊んでたんですよ。それが、たぶんひとつなんですよ。自分で工作したりして。棚とか家具とか作ってみたり。カマボコ板とかで。
すごい、木材を使っているじゃないですか!
(笑)段ボールの切れ端とかでも。
それ、残ってないんですか?
いや~…?
後で写真をお送りします。
えっ残ってるの?!
暖炉と…。
わたしの自信作です、暖炉。
暖炉すごいんですよ。
いくつの時ですか?
小学校3~4年生くらい?
暖炉は本当にすごいです。本物と並べて撮りますね。
本物があるのに作るってどういうことですか?
えっ本物あった?
本物は姉の所有だったんです。作った方はわたしの所有で。
多分…沙東子のために作ったのではないと思います。
工作熱で?
多分、そうですね。あのとき、私と同じくシルバニアファミリーにはまっていた子も、建築の道に進んでいて。
シルバニア、すごいですね。もうひとつのルーツは?
茶道をやっていたんですね。小学校5年生くらいの時から。
茶道部に入ろうとは思わなかった?
流派がちがうんですよ。大体学校の茶道って裏(千家)なんですけど、わたしは表(千家)に行っていたので。家から歩いてすぐのところにお茶の先生がいらしたので、そこに通って。それで「和風建築」に興味をもちはじめて。卒業ノートは、ここからテーマを設定したんですよね。
潜在意識にはシルバニアがあって、現在的には目の前にある茶室に興味を…。
そうですね。そのふたつがルーツで、今に至るという感じです。
高校では理系にすすんで、建築科を目指すという…。
卒業ノート作っていた頃には、なんとなく「建築やるんだ」と思っていたと思いますね。
叶ったわけですね。大学で、専門の学習をはじめてみて、どうでしたか?
楽しかったですね。若干違うところもあったけど、でも建築の道に進むというのか変わらなかったですね。
若干ちがう、というのはどんなことで?
私のまわりに建築をやっている人がいないので、「建築やってみたい」とは言ったものの、どういうルートで、どういう仕事があるのかって、何も知らなかったんですよ。で、建築の仕事っていうと設計…、建築家というのがかっこよく思い浮かぶ。「大学行って勉強したら建築家になるのかな?」くらいの、ぽやっとした頭で進んだんです。でも実際、製図とかすごいしんどくて。自分のイメージを出して「こんなこと考えました」ってプレゼンするんですが、先生方に「でもここ、こうしたら通れないじゃん」とかすごく批判されるんですよ。私の周りの同級生で、「本気で設計やりたい!」っていう人たちは独創的なアイデアをいっぱい持ってて…。「なんか、かなわないな」「設計で食べていけないな」って思ったんですよね。でも建築自体は好きだったので、就職先は建築業界に絞って探しました。
沙東子さんは最後まで進路を迷って…。わたしの受け持っていた日本史で、沙東子さんはエースだったんですよ。なのに理系にいくとか言って…荒れた時期がありました、私が。
(笑)本当に悩んだんですよ。建築への道を一直線に進んでいた姉の後ろを行きたいという気持ちは大きかったですし。でも建築をやるためにはどうしても理系の教科を頑張らなきゃいけないということがわかってきて。でも私は数学が小 1 の時から敵という人間で。
お姉さまは数学は?
私も苦手意識はずっと持っていました。数ⅢCもストーリーがあって美しいなって思うんですけど、あれを1年や2年で理解するのはちょっと無理だなって思って。だから私も嫌いではないんですが、解けた気がしなかったですね。自分のものになってなかったんですね。
安岡姉妹は、数学が苦手だったんですね。
姉から「文系にいったら数学のないクラスもあるよ」ということを小学生のときに教えてもらって、「絶対そこに行こう!」と思っていたくらいで。でも気が付いたら数Ⅲを取っていたんですよ…。数学の授業は楽しかったんです。クラスメイトも面白い人ばっかりで。ただできないんです。
あと、北大の工学部のオープンキャンパスにいって、建築意匠学が面白くてやりたいなって思ったんですよ。それに建築だったらわりと就職と結びついているかな、と思って。一方で文学部に行っちゃったら、4年間はいいけどその後どうしよう…って悩んじゃって。それで進路選択の時に「理系」をどうしても候補からはずせなかったんです。最後の段階では、北大を理系で受けたんですけど、その時には「入ったら文系に行くぞ」という気持ちでした。
ええ?!
…っていうような状態でした。本当に悩んだんです。
でも、後悔がない道を選ぼうとするのは、大事ですよね。
今でもどっちがよかったのかわからないですね。
でも、高校の時に理系コースへ進まなかったら、悪い形で引きずってしまったかもしれないですよ。
そうかもしれませんね。
最終的に文学部に進学して、今の研究は…。
平安文学です。
宇治市源氏物語ミュージアムに行ったことは?
もちろん、あります。
たまに、関西のほうにも遊びに来ていて。
お姉さまのお住まいを拠点にすれば、いいですもんね。
何回か行きましたけど、まだ行き足りないですね。
(笑)
現時点での卒業後の夢は何ですか?
一番やりたいのは、研究者。今やっていることをそのまま仕事に直結できたらすごく良いんですけど。ただ中々その仕事は多くないので…どうしようかなって。新卒では無理だけど、いつか活かせたらいいなと。
「これがやりたい」って理想を持っておいたら、きっとそれに向かっていけると思うよ。
藤への入学を考えている保護者に対して、メッセージをお願いします。
女子校に入ったからこそ、女性としてすごく強くなる、芯のあるすてきな女性が育つんじゃないかな、と思います。
女子校ならではの良さは姉がいってくれた通りだと思います。あと、藤はキリスト教の学校ですが、キリスト教の信者でない人にとっても新しい宗教を知ることは世界を見るためのツールを増やすことになると思います。
撮影場所:北海道大学 インフォメーションセンター「エルムの森」
インタビュアー/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/松永 大輔
デザイン/清水 麻美