親に、「なんで自分はドイツ人じゃないんだ」って
高校卒業後、ドイツのハノーファー音楽大学へ進学し、ピアノを学ぶ神吉ひかるさん。
幼少期から小学校時代まで、埼玉、ベルリン、岡山など様々な場所で過ごした彼女は、
中学校生活を札幌の藤でスタートさせました。
彼女の中高時代を紐解いていきましょう…。
どうして藤に入学したんですか?
ピアノの先生が藤出身で。
ピアノはいつから?
6歳くらいからです。小学校1年生の夏に父の仕事で3年近くベルリンに行って、そのときはプライヴェートで先生を見つけてピアノを弾いて。日本人の先生だったんですが、自分もまだドイツ語できなかったし、それでよかった。ドイツ在住のピアニストです。
「あなたには才能がある!」と肩を揺さぶられて言われたことは?
ないです(笑)
日本へ帰国したのは、お父様のお仕事の関係で?
小学生だったのであまり覚えていないですが、だんだん日本語が下手になっていって(笑)。親に、「なんで自分はドイツ人じゃないんだ」って聞いたらしくて。
でも、ドイツ人だと思っていたらそんな質問はしないですよね。
まだ日本人なんですけど、よくわかんなくなってきちゃってたのかな。正直あまり覚えてないです。ただ、最初の頃はドイツ語が全くしゃべれなくて…一年くらい経ってから、ホームルームの時間にやっと一言発して、担任の先生がとっても喜んでくれたのを今でも覚えています。確か、「祖父母が遊びに来る」みたいなことを言って。しゃべれるようになるにつれて、学校も楽しくなりました。
日本へ帰国したあと、違和感はありましたか?
いろいろありました。例えば授業の時とか、まず手の挙げ方が違って。あれ(ナチス式敬礼)を連想するから、こうやって指をならして。向こうの人は、本当にやらないです。タブー。お店で、「すいません」って店員を呼ぶときも、手をあげない。
他に違和感は?
みんなしゃべらないわけじゃないけど、思ったことをあまり言わないこと。
自己主張をしない?
そう。授業中だけじゃなく、友達としゃべってる時も。「あ、これ言わないんだ」ってことが。
なのに、言葉づかいが…。それこそきれいな日本語しか知らなかったので、「こんな言い方あるんだ…」って。「死ね」とかすごいびっくりしました。「そんなこと人に言うの?」って、子どもながらに。
ドイツでは、聞かない?
「大変で、死にそう!」はあるけど、人に対してはなかったから、衝撃でした。帰り道とかで、あーだこーだ言ってるなかで聞いて、びっくりして…。
藤では、聞かないですよね…?
ないないないない(笑)
違和を感じながら、でも札幌の学校生活にも慣れていき…。
小4の夏に、今度は岡山に。
岡山?!
はい。父の仕事の関係で。それから、小学校卒業まで岡山にいました。
では、岡山から藤だったわけですね。
そうです。
入学のきっかけとなったピアノの先生って…?
札幌です。ドイツから帰ってきて、岡山にくるまでの間の。
すごく、短い期間ですよね?
祖母の家が札幌にあったので、夏休みのたびにレッスンを受けて。なんだかんだずっと連絡をとっていたんです。
藤は専願ですか?
母が、札幌市内の別の女子校出身なので、そこも受けました。
藤を選んだ理由は?
最後は自分で選んだんだけど、「なんかよさそうかな」って、なんとなく(笑)。だって決められないじゃないですか、小6で。
入って、どうでしたか?
最初、女子校がなじめなくて…。
引っ越しが多いから、新しい環境に入ることは慣れていたのでは?
時間かかるんですよね。母からも、「慣れるまで時間かかるよね、ひかるは」って言われます。
どこにとまどったのですか?
最初、静かで慣れなかった。しかも、女子の笑いのポイントがわからなかった。でも、半年くらいしたら慣れました。母の話を聞くに、(当時担任だった)三島先生に、「なじめないみたいで」って母が面談の時に話したみたいで。そしたら三島先生が「合唱コンの指揮やったら?」ってすすめてくれたみたいで。
それで、みんなと交流せざるを得ない状況に?
そうそう。でも、楽しかった。
弾く方はやらなかったのですか?
6年間ずっと振ってました。
それは、神吉ひかるが弾いたら全部もっていかれちゃうから?
いえ(笑)、いつも弾いてるから、違うことしようと。
谷川俊太郎の「春に」を中2の時に振りましたよね?
うん。いい曲ですよね。覚えてます。
いまでも覚えています。三島先生が、「背中から泣ける」って。神吉さんが指揮台に立った時に、背中を見ただけで涙が出るって。
(笑)
6年間、すべて入賞?
全部とりました。
高3の誕生日の時、友達が、手紙をくれて。「ひかるの指揮で毎年賞をとれるのは、音楽性もあるけど、何よりクラスのモチベーションがどうであれ、毎回笑顔で練習を始めたひかるのおかげだよ」って。わたしそれすっごい感動した…。
感情的にならずにスタートすることは、心がけていたのですか?
心がけてました。イライラすることもあったけど、自分をコントロールしようって。でも、出来なかった練習がほとんどだと思います…そのたびに反省して、みんなと話し合って、先生に相談して。とことん突き詰める分、うまくいったらとことん褒めて喜ぶ、これも心がけていました。
神吉さんの姿勢が、友達には伝わっていたわけですね。
嬉しかった。
やっぱり神吉さんといえば、合唱コンですよね。
たかが中高の合唱コンクールかもしれないけれど、今の私の音楽人生にもつながっています。
素敵ですね。
高3の春、キノルド資料館の2階で東日本大震災のチャリティーコンサートをしたのですが、それも思い出深いです。コンセルの友人達で企画して、藤の先生方、友達も沢山協力してくれて。それこそ、自分のピアノで何ができるか考えていた時期だったので、一つ形に出来たのは嬉しかったです。
在校生に対してメッセージをお願いします。
藤では、本当に好き勝手やってたんですよ。勉強も好きだし、ピアノも好きだし。コース選択もすごく時間かかって、でも、担任の鈴木先生がさんざん悩みにつきあってくれて。もう、他の先生ともいっぱい話をして。いっぱい考えたし、本当は自分は何したいんだろうって。特に高校3年間ずーっと考えてたんですよ。すごい…財産です。あの頃考えてたことが、いま支えになっていて。悩めたのって、周りのおかげだなって。先生も、親も、友達も。友達もみんながんばっていたから。だから藤は、心置きなく悩めて、好きなことできる場所です。
撮影場所:奥井理ギャラリー
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/松永 大輔