進路について OGの活躍
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ピアニスト 神吉ひかる 第2話トップ
第2話

「好きにしなさい。でも、半端なことはするな」

入学当初は「女子校」に戸惑っていた神吉さん。
しかし、行事を通して同級生達との理解を深め、
最終的には互いを高め合う友人関係を築いた神吉さん。
卒業後、ドイツへの進学を決めた理由は…?

高校卒業後、日本での進学は考えなかったのですか?

わたし北大受けたんです。文学部。落ちました。

北大を目指していたんですね。

北大も目指して、ハノーファー音大は北大に落ちても受かってもどちらにしろ受けるつもりだったので、ピアノもやってました(笑)。へんなことをやっていたんですよ。単純に決められなかったというのが、大きかったです。将来何をして生きていきたいのか…。勉強も好きだったし。ピアノで、音楽で生きていく自信が全くなかったんです。自分のこんなピアノで、誰の役に立てるのだろうって。

北大にご縁がなかったあと、ドイツの音楽大学を受験したわけですね。

ハノーファーがだめだったら、その後のことをそれから考えようと。

ハノーファーを選んだのは、どうしてですか?

縁があったんですね。ベルリン時代の知り合いに「どういう先生がいる?」と聞いたりして。ハノーファーってピアノ科が有名なんですよね。高3の春に、父が学会でドイツに行くとき、一緒について行ったんです。その時レッスンを受けた先生が、「受かったら、おいで」といってくれて。それで、受けました。他の大学も聴講とかしたんですけど、「いいや」って思って。行きたいとこだけ受けて(笑)。

試験は、実技だけですか?

実技と、座学です。座学に関しては、調音 ( ソルフェージュ ) は中学の頃からやっていたのですが、口頭試験とか、他は全くやってなかったので、北大の前期が終わってから、作曲の先生にレッスンを受けて、急いで勉強しました。

ライプツィヒの国際バッハコンクールにて
ライプツィヒの国際バッハコンクールにて

口答試験は、ドイツ語?英語?

専門用語なので、ピアノのことを理解していれば英語でもドイツ語でもいいです。一応わたしはドイツ語で勉強していったんですけど。

アイルランドの大学に進学した卒業生が、1年間の交換留学でドイツを考えた際に、「ドイツ語できるならいいよ」という返答だったと言っていて、言語はどうなんだろうと思ったんです。

音大はちょっと特殊なので。でも、やっぱり1年以内に語学の証明書を出さないとだめ、とかはありますけど。

親御さんは?

「好きにしなさい」としか言われませんでした。何を相談しても。でも、「半端なことはするな」って。「『とりあえず』とかはやめてよ」って。本当は口をはさみたいことだらけだったと思いますが(笑)。

合格後、入学までにどんな準備をしましたか?

語学ですね。ベルリンにいた時はしゃべれたけど、こっちにきて忘れてしまって…「やばい!」と。藤の友達に相談したら、ドイツ語を教えている北大の大学院生を教えてくれて。何回か1対1でやってもらって。あとは独学…。テキストと辞書と。「なんかそういえばこんなことあったな」と。ゼロからじゃなかったのが、まあ助かったかな。あとは向こうへ行ってから語学学校に通って。
もうひとつは、料理!本当に何もできなかったので、母が急いで手ほどきをしてくれました。おかげで一人になってからあまり困らずに済みました。

語学学校は、土日だけ?

毎日、午前中です。大学は、専門科目しかないので。語学の試験を合格していないととれない授業があるので。それで、午前中が空くように組み立てて。

それは、外国人が通う学校…日本でいえば「日本語学校」のようなものでしょうか?

そんな感じです。英会話スクールみたいな雰囲気です。
高校の時、翔子先生に鍛えられたので、その土台に助けられました。文法、発音は違っていても、外国語を学ぶ事に変わりはないので、藤の英語で教わったのと同じように取り組めば良かったです。

困らなくなるところまでいくには、どれくらいかかりましたか?

4か月くらいですね。必死でした。大学の授業やレッスン、周りとのコミュニケーションもドイツ語なので、使わないと生きていけない環境でした。住んでいた頃のドイツ語はすっかり忘れましたが、ありがたいことに発音は当時の記憶が残っていました。発音が良いと、それだけでしゃべれる印象を相手に与えられるので、特に来た当初、まだ思うように話せなかった頃は、助かった~と思いました(笑)。契約とか手続きも全部自分でやって。父も母も何も手伝ってくれなくて。一緒に来ることもなく、入試のときも。

えっ、入試のときも1人で?

そう。1人で、それこそ飛行機とったり、宿泊先とったり、はじめて全部やって。もちろん、メールの文章をみたりといった手助けはしてくれたけれど、ピアノが弾けるのは当たり前、入試も1人でこなせないのなら、海外進学しても困るだけで意味がない、と。すべてが勉強だからって。

見つかるまではホテル暮らしですか?

2週間くらい、安めのホテルで過ごして。銀行の口座とか、保険とか、ケータイの契約とか、全部やりました。行く前に、「こういう文章言おうかな」って考えておきました。

「外国人?だめだめ!」と住むところを断られたりはしなかったですか?

最初、寮に入ったんです。だから、そういうことはなかったんですけど、次に一人暮らしの物件を探すときには、やっぱりありました。「学生は…」とか「外国人は…」とか。

ドイツ・ハノーファー
ドイツ・ハノーファー

共有スペースとかに、ピアノがあるんですか?

自分の部屋に、アップライト入っています。四角いやつです。練習はほとんど大学でしてますが。

入学後の率直な感想を教えてください。

楽しかった…今も楽しいですけど。

辛いことはなかったのですか?

泣いたりしてました。布団で。「こんちくしょう」って。

それはなぜ?

言いたいことが言えないし、分からないことばかりで。あと、寮暮らしで共有スペースが汚かったり、そういった生活面のストレス。ただ、寮だと友達ができて、おかげで、分からないことをすぐ質問できてつたないドイツ語でも世間話ができるので、今思えばひとりじゃなくて良かったなと、ありがたく思います。
それに、ピアノを弾いているから、それが発散になった。

それが言語になりますしね。

そうそう。だから、当時やっぱり、座学で来ている人は大変だな、と思いました。わたしは、ピアノ弾けばなんとかなる…(笑)

「慣れるのに時間がかかる性格」とは別の理由ですか?

別です。生活が落ち着いてきて、人脈ができて、やっと本業で悩める、みたいな。

入学前に「おいでよ」と言ってくれた先生とは再会したんですか?

今その先生に教わっています。

先生は、ひとり固定なんですか?

はい。「あの大学がいい」より、「あの先生に教わりたい」で学校を決めるのが音大では主流です。

マイスター制度、というイメージがドイツにありますものね。

そう。職業訓練に行ってる感じです。

大学内の記念コンサート
大学内の記念コンサートに出演

大学のカリキュラムを教えてください。

全然違うんですよ、日本と。ドイツのほかの大学はちょっとわからないんですけど、音楽科は基本的に専門課程しかなくて、レッスンと、音楽史とか、楽典とか、あと教育系の授業もあって、模擬レッスンしたりとか、音楽教育の授業もあったりして。一応4年間ですが、数えるのが学期で。1年生、2年生じゃないんです。

じゃあ、学期ごとに留年する学生がいるということ?

そういうのはないです。一応「これくらいまでにこの試験終わらせてくださいね、この単位とってくださいね」みたいな予定表?はあって、でも最終的に卒業の時に全部終わっていたらOKで。コンクールとか演奏会とかいろいろあるから、例えば、コンクールと試験が重ならないようにすると、8学期中に終えることができなくて、9とか10になる人もいて。でもあまりそういうのは関係なくて、師事している先生の許可があれば大丈夫です。
逆に、自分でやっていかなきゃいけないから、「こうしなさい」「ああしなさい」がほとんどないから。自分でプログラムしていかなきゃいけない。やろうと思ったらやること色々あるし。自分次第。

日本だったら、4年制の大学を5、6年かかって卒業したら「なんで?」って理由を問われると思います。まわりと同じ足並みで、「ここで新卒になる」「ここで就職する」ということはドイツにはない?

6年はほとんど聞かないけど…(笑)、でもあまりそういう考え方はないですね。

自分のリズムで進んでいきなさい、ということですね。

そう。

社会は社会で「9学期?なんで?」とかは…。

全然、ないですね。

神吉さんは、8学期で卒業したんですね。

そうです。

ドイツでは、成績はどのようにでるんですか?

1.0 が一番良くて。1.1、1.2…と増えるとどんどん悪くなって。

増えたらだめなのですね…!

数字が大きいほど悪いんです。3とかいったら、「え?」みたいな感じ。説明しにくいんですけど…。1.0 が満点です。わたし、実技試験は 1.0 でした。ソロと室内楽の両方。

実技以外は?

すごい惜しくて…合計で 1.1 だったんです…。

初演コンサート
バリトン(声楽)と共にドイツの作曲家の作品を初演したコンサート

では、受験を考えている小学生の保護者に対して、メッセージをお願いします。

絶対藤ですよ、もう。社会に出て、苦労しないと思います。他の人も言っていると思いますけど、本当にそうだと思います。辛いときこそ、相手を思いやる、人に優しく、そう教わりました。だから、ちょっと変わった趣味の子とか、雰囲気が独特でも、「そういう人もいるよね」って。6年間大らかに過ごして。でもやることやれるし、勉強しようと思ったらできるし。勉強じゃないことも、「そういうことやってるんだね」って、バックアップしてくれます。


撮影場所:奥井理ギャラリー
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/松永 大輔