すっごい自由人で、「この子は大変なことになる」
大学卒業後、外資系の航空会社へ就職し、現在はカタール在住の友成姫佳さん。
小さい頃おとなしかった友成さんは、小学校でバスケットボールをはじめて爆発。
そんな彼女の「藤時代」は?
彼女の中高時代を紐解いていきましょう…。
藤に入学した理由を教えて下さい。
お手洗いがきれいだったんです。本当にきれいで。
それを理由に入学してくれる子、けっこう多いです。友成さん、入学後にはじまったトイレ掃除はどうでしたか?
大好きでした!掃除の時間。菅原先生にも「あなた、お掃除好きだねぇ」と言われていました。今の仕事にも役立っていますね。
他に、藤の6年間で役立ったことってありますか?
先生方もとても品があって、一番多感な時にそういう環境で過ごし、「何がいいものか」っていうベースがつくられたと思うんですね。
振る舞いとかでしょうか。
振る舞いや、言葉遣いですね。「目を見てスピードを合わせて話しましょう」とか、「足は組んじゃいけません」とか。何が正しいかっていうのは、ここにある。それが自然に出ているというのが役立ってるんですかね。基本的に、相手に迷惑をかけないという…。私大きな声で木村先生に質問しちゃったのが、花川のセミナーハウスに訪問したとき。ゴミを持ち帰るように言われて、私はその時大きな声で、「ゴミ箱があるのにゴミを持ち帰るんですか?」って。
それ、よくみなさん言います(笑)
清掃の方が処理してくれると思ったのに(笑)。でもフライト中、海外の方がゴミを機内の床に落としたり、椅子のポケットに入れていったりする一方で、日本人の場合は、きれいにブランケットをたたんで、使ったスリッパを下に置いて、ゴミはエチケット袋にまとめて。それをみて、花川の時のことを思い出しますね。
誰かを思って行動する、という。
母がなぜ藤に入れたかったかっていうのも、「心の教育」なんです。小学校の時、私すっごい自由人で、「きっと公立に行ったらこの子は大変なことになる」って、母が(笑)
宗教の時間に、小林サダ先生のお話とか、椚山先生のお話とか、本当に「心の教育」を受けました。就活の時、椚山先生の言葉を思い出して。「人って分かることだけで固まっていって、殻が大人になるにつれて分厚くなって、殻がどんどん厚くなるんです。でも、その殻をパンッて破って、外の世界に出て行こうっていうエネルギーが、これから大事になる」っておっしゃって。「自分の知らない世界って怖いんですね」って。でも、小柄な椚山先生が、エネルギーたっぷりに「パンッ」って。私、今の会社に受かった時も、実は何日間かくらい「本当にこのまま行っちゃっていいかな」って迷ったんです。
ちょっと怖いですよね。
「中東にひとりで行く」って、その時は怖かったです。でも、その時の言葉を思い出して。外の世界、未知の世界だけれども、それでも勇気を出して「パンッ」って、視野を広げて、周りの世界に行ってみようって、その好奇心が大事なんだよって。
みなさん宗教の時間に、何かをもらってるんですよね。
そうなんですよね。宗教の時間の先生のふとした言葉。幸せな時ってあんまり思い出さないんですけど、すっごい苦しい時に限って、なぜか思い出すんです。
先ほど「小さいころは自由人」と伺いましたが、どんな女の子だったんですか?
小さい時は、おとなしかったんです。それが、小学校の時にバスケットボールをやって爆発して。それで母が心配し、藤に入れられ(笑)。「ここはおとなしい学校なんだ」と思って、おとなしくおさまろうと思いきや、まあ元気でしたよね。元気だったけど、勉強に集中しようと思って、けっこうずっと一人行動でした。
そうなんですか。
たとえば修学旅行でグループをつくる時、「入れてくれますか、余っていれば…」みたいな。
特定のグループ、みたいなものがなく。
そういうのむしろ、苦手でした。いつも同じメンバーでというのは…。本とか単語帳読みながら、隣りの話を聞いてクスッて笑う、そういう感じの生徒でした。でも合唱コンクールでは指揮をやったり、茶道部では部長やらされたりして…。
大活躍じゃないですか。
大活躍ではなかったんですけど(笑)。リーダーって一人の方がよかったんじゃないですか。
誰にも肩入れしない?
そうそう。だからだったのかもしれません。
みんな信頼していたんですよ。
いえいえ、楽だったんでしょうねきっと。だからあんまり「特別この人と仲良い」っていうのがなくって。だから逆に、今いろんな人と分け隔てなく会えるのが嬉しいんですけど。
なるほど。では孤高な感じだったんですね。
中高時代は、そんな感じでした(笑)。いい言葉ですね(笑)
でも山城先生から「友人と2人で、演奏を披露してもらったことがある」と伺ったのですが。
そうです!中1の時ですよね。ピアノとバイオリンで。覚えています。友人が、山城先生のことが大好きで。旧校舎の音楽室で練習したりして。うちに泊まりに来て、手作りでチケットを作って…。
それはすごい!
「演奏をきける券」みたいな(笑)
肩たたき券みたいな。
そうです(笑)
それを先生に渡して、高平先生と山城先生に演奏を聴いていただいた思い出がありますね。
素晴らしいです。
ありがとうございます。
その時は孤高じゃなかったんでしょうか。だんだん孤高に…?
そうですね(笑)思春期だったのでしょうか。
中高時代、将来の夢は今の職業でしたか?
実は、中学1年生までは憧れていました。小学校の担任の先生に「CAなんかいいんじゃない?」と言われたことがあって。
先生、見る目ありますね!
「海外に興味あるし、元気だし、身長もあるし、いいんじゃない?」って。それが引っかかって、家で母に話したら。「お母さんもなりたかった」って。
それで憧れの職業になったんですね。
中1の時に「職業調べ」という課題があったのですが、それが廊下に貼り出されたときに、私の他にもうひとり「客室乗務員」について調べた子がいて、それを読んでいたら、「作者」が横にいて。それが、Yさんです。
彼女も、CAになりましたね。
そうなんです。その時の彼女のキラキラした表情を今でも覚えているんです。
「私、絶対になる!」って、くるくる回りながら言っていて。
私も「いいなぁ」って、一緒になって言ってたんですけれど、実はその頃はピアノにハマっていて。音楽大学に行きたいと父に頼んでみたりしてました。「君のレベルでは音楽では食べていけないよ」と言われ、すんなり諦めましたが(笑)
再び夢は客室乗務員へ?
その後は憧れの職業を設定することをやめて、一番好きな英語の勉強を大学でも続けることにしたんです。高校2年生の時、「どうしよう?」が口癖だったんですが、担任の雨尾先生が「とりあえずこのまま英語の勉強を続ければ?」と言ってくださって。「あなた達はまだ世の中にどんな仕事があるのか知らない。目標を定めるのは大事だけれど、将来のことなんて分からないんだから、こうならなきゃ、と決めつけるのはおすすめしません」と。
それで、英文学科に進んだのですね。大学はいかがでしたか?
1、2年生の時は大学の課題があり過ぎて鬱気味でした(笑)。少人数制で2年間は毎日必修科目の課題をこなすのに必死でしたね。毎日西東京の森の中でテスト勉強などをして「東京に何をしに来たんだろう?」と思っていました。津田塾って小平市という森の中にあって、東京に進出したつもりがまさかの札幌よりも田舎だったんですよ。小平市の皆さんごめんなさい…。3年生になりやっと時間に余裕ができて、それで初めて外の学生団体に目が向きました。
では3年生になって、小平市を脱出したのですね。
東京の学生が毎年100人くらい集まる団体でした。もとは東京にある大学のESS(English Speaking Society)クラブが集まって、劇を通して英語を学ぶのが目的で。津田塾は藤女子と同じく女子校ですし、とても雰囲気が似ていたので、ちょっと違う世界を求めて参加しました。
そこでどんなことを ?
キャスト、照明、舞台美術など、色々な部門があるんですが、私は最初キャスト志望でオーディションを受けました。その面白さにハマり、2年目は制作の方にも。PRや、スポンサーを探しに外回りにいったりもしました。あと、会計…これがとても大変だったんですよ。誰もやりたがらない仕事をあのときは若さとパッションで引き受けてしまい、後悔したりもしました。
様々な大学に知り合いができて。
そうなんです。それが一番の収穫でしたね。
憧れだった音大生もミュージシャンとして参加していましたし。理系・文系も問わず、院生もいました。この時期から「世の中には色んな選択肢があるのだなぁ…」と知り始めた気がしますね。遅いですが…。
年に何回くらい公演を行うんですか?
毎年5月GWに、1度だけ公演なんです。なので、毎年新メンバーで生まれ変わっていきます。
1回の公演のために1年間の準備を?
いえ、春休みから新学期の4月、3ヶ月間活動します。
ただし、制作の場合は、オーディションの準備や、その前のメンバー募集をするための広報活動やスポンサー集めを夏頃からやります。
舞台を実際につくる方々は3ヶ月だけど、制作側は通年なんですね。
はい。サークルに参加してからは、それまでの自分じゃないように元気でした。両親にも「キラキラしている」と帰省の時に言われました。あの頃は分刻みで動いていましたね。
分刻み?!大学生が?
ゼミの先生には、「社長出勤」っていわれてました。
「友成さん、お早うございます。よっ、社長出勤!」って(苦笑)
先生方も、怠けているわけではなく、なにか活動をしているということをご存じだったんですよね。
よく理解してくださる先生でした。そこは少人数制のよいところで。その先生は今の会社の採用対策として英語面接の練習も一緒にして下さいました。卒業もギリギリで不出来な学生だったのに、本当に良くしてくださいました。感謝しかありません。
藤の在校生に対してメッセージをお願いします。
あんまり今のうちに正解を決めつけないで、何が自分をハッピーにするのか、何をやりたいのか。「~しなきゃ」ではなく、どこで自分の脳が一番活性化してワクワクドキドキするのか、というのをベースに選択してほしいと思います。
自分だけを信じて。迷った時こそ、自分の意志を大事にしてほしいです。
撮影場所:藤女子大学
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/松永 大輔