進路について OGの活躍
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客室乗務員 友成姫佳 第2話トップ
第2話

「この仕事を手に入れるしかない」と思って。
当日に燃えました(笑)

指揮者や茶道部の部長をつとめながらも、「ひとり」を感じていた中高時代。
大学のサークル活動で元来のアクティブさを取り戻します。
その結果、就職活動からは遠のき…。
そんな彼女がどのようにして外資系の客室乗務員となったのでしょうか。

サークル活動が忙しかったということですが、就職活動は?

もちろん、就職活動まで回らず…というかそっちの方が楽しくなっちゃって(笑)。大学3年次になるとインターンに参加したりバリバリ動き出している周りを横目に、サークル活動に現実逃避をしていました。両親にもかなりがっかりされて(笑)

1社も受けなかったのですか?

いえ、住宅設備メーカーを受けました。「海外に住む」という志望は持っていたので、日本人として日本の誇れるものを外で売りたいと思って。当時行き着いた答えは、「トイレ」と「ホスピタリティ」でした。
私、どこのトイレがきれいで、使いやすくて、パウダールームがあって…など自分のGマップにトイレマップを作っていたんです。渋谷ではここ、新宿はここが一番とか、使うお化粧室を決めていたんですよ(笑)

それはトイレメーカーで、すぐにでも活躍できそうです(笑)

でもその会社の面接で「近年は現地採用が主流で、マネージメントをするようになってから駐在員として派遣されるケースがほとんどです」と言われ…。「女性がマネージメントクラスに昇進するまでにはどれくらいかかりますか?」と質問すると、「10年程」という答えが返ってきて面接で失笑してしまい…もちろん不採用でした(笑)。

その後、小さい頃の「客室乗務員」という夢にどのように再会したのですか。

「海外に行きたい」という意志は変わらなくて。ふと入った本屋さんに「外資系の客室乗務員になる本」というのがあって、後ろのチェック項目を見たら、全部当てはまったんです。

チェック項目はどんなことが?

海外に住みたい、ホスピタリティに興味がある、接客経験がある、旅行がしたい…「これだわ!」と思って。

いきなり。

はい(笑)。得意の思い立ったらすぐ行動。大手エアラインスクールを4校くらい、雰囲気だけ見に行って。それぞれの学校のブログをチェックしました。そうしたら、「これは学校に通わなくても大丈夫」と何故か思い上がったんですね(笑)

なぜそう思ったんですか?

書いてあることが、当たり前のことすぎて。と言うと嫌われるかもしれませんが。内容が藤で教えていただいたことばかりでした。お辞儀の仕方、椅子の座り方などの礼儀作法、言葉遣い、身だしなみ。

それは嬉しいです!

それで一人で準備をすることに。ブログやオンラインの記事を読み漁って。
そこで「無料でエアラインに入りたい人をモニター生として募集します」という個人のエアライン受験講師の方のブログに行き当たり、応募しました。まだモニター生として合格してもいないのに、「中東ベースの航空会社の募集が出ましたが受けますか?」と連絡があり、準備してあった英語の履歴書を数分後に送ったんです。

講師の方と言うのは、元CAなんですか?

はい。大手通信会社から、大手外資系航空会社に移ってご結婚を機に退職。その後ご自分で起業をされて成功されてる方みたいです。いま、ボストンにいらっしゃるんですけれど。

恩師ですね。縁をつくってくれた。

そう、恩師なんですよ。そして受けてみたら、受かったんですよ。

ドーハの海岸通り
ドーハの海岸通り

どんな試験なんですか?

まずは採用代行しているエアラインスクールに上の講師の方を通して英語履歴書を提出。数週間後に呼ばれて、1次面接。後日会社説明会と英語の筆記試験。同時にアームリーチと言って、ヒールの靴を脱いで手が212cmに届くかの確認と、脚や腕など見えるところにタトゥーや大きな傷あとがないかのチェック。英語小論文とグループディスカッション。それから残った人達がファイナルインタビューという流れでした。
会社説明会の時点から、現地から来たリクルーターが現れて、確かポルトガル人とオランダ人でした。そのお2人のオーラに圧倒されましたね。なんというか、凛として自信に満ち溢れていて…。かっこよくて逞しそうなのに、女性らしい美しさも兼ね備えていて、一目惚れしました(笑)

ポルトガルとオランダ?!16,17世紀のアジア貿易という感じです。

そうですね(笑)そのお2人の印象はどこか、英語の瀬戸晴子先生に重なったんです。
藤に入学後、一番最初の英語の授業。凛として教壇に立ち、"Good morning, everyone!" と綺麗なアメリカ英語で始まった、瀬戸先生の授業に感動した時の感覚がその時よみがえりました。あの時は「こんなふうに英語が話せるようになりたい!」でしたが、今度は「この人たちと同じ会社で働きたい!」と。

瀬戸先生のオランダ人版とポルトガル人版がいたんですね。

そうですそうです(笑)。バリバリのキャリアウーマンなのに女性らしいしなやかさを忘れていなくて、しかもお話にユーモアまである!

日本のCAのイメージしかなかったところに、瀬戸先生みたいな方が外資系のCAで現れて。

「この仕事を手に入れるしかない」と思って。当日に燃えました(笑)。

1日で決まるんですか?

今の会社は3回呼ばれ、2週間の間で決まります。会社説明会、英語試験とアームリーチ、肌のチェックとグループディスカッションまでは1日でやります。

途中、落ちたらどうなるのですか?

そこで帰されます。「お疲れ様でした、さようなら」と。
エントリー番号とファーストネームを呼ばれた人たちだけが残るんです。
その時に、小学校の同級生に再会したんです。お母様が元 JAL の CA で、藤の職業調べの時にお話を伺った方です。

すごい偶然!

もう、鳥肌が立ちました。ちょうど、英語の筆記試験に入る前でした。面接官から「気に入ればこのあとの英語試験に残って下さい」という指示があって。

気に入らなければ、そこで帰っていいのですか?

いいんです。帰った方はいらっしゃらなかったですけれど。
説明の後、「会社や中東での生活について質問はありますか?」と言われた時、真っ先に手を挙げたのが彼女でした。10年程会っていなかったのに、お母様にそっくりですぐにわかりました。小学校卒業後、彼女は聖心へ、私は藤へ行き、お互い東京の大学へ進学したことまでは知っていたのですが、まさか東京で、しかもエアライン採用試験で再会するとは思っていなくて。彼女は他のアジア最高峰エアラインに内定していてそのままシンガポールへ。私はこの採用試験で進んでカタールへ。入社前から海外で働く戦友ができた気持ちになり、渡航後も心強かったです。

素敵なエピソードですね。

その後1日空いて、ファイナルインタビュー。最後にオランダ人の面接官からウィンクをされて、「これは受かった!」と調子に乗っていたら…案の定その後数ヶ月間結果が来ませんでしたね。もしや落ちた?と心配する間もなく卒業論文に追われていた頃、「メディカルチェックを受けてください」と連絡がありました。

では、10月くらいに採用が決まったということですか?

もっと遅くて、渡航チケットが送られてきたのは年が明けた1月末だったように記憶しています。

ギリギリでしたね。

ギリギリです。それなのに私は「渡航は3月末だしちょうどぴったり!」なんて、前向きにもほどがありますよね。

カタール航空に勤めることについて、親御さんの反応は?

父の反応はあまり前向きなものではありませんでしたね。「客室乗務員にするために東京に出したんじゃない」と言われました。今思えば「なんて失礼な!」と言い返したいようなことを。

お母様は?

母は、ただただ「よかったね」と。でも父も私にはああ言いながらも、母には「勉強した英語を使って、海外で仕事をするなんて立派だ」と言っていたみたいです。父はいつも母を通して褒めてくれるんですよ。直接は褒めない(笑)

では、3月末にカタールに渡航して、4月から入社ですか?

外資の航空会社は日系航空会社の経験者採用のように4月入社とは限らなくて、欠員が出てトレーニングの準備が整うと呼ばれるという感じです。実は、弊社にもまれにいるのですが、大学在学中に内定して、大学を休学して渡航してくる、というケースもあるんです。まるでワーキングホリデー的に中東まで客室乗務員をしに来る。

それはすごいです…!

大学生の頃からその行動力、尊敬しちゃいますよね。
私の場合はたまたまタイミングが良くて、一度3月末に渡航の航空チケットが送られてきたのですが、これも「外資あるある」か、渡航日が5月に変更になりました。それで運良く大学卒業後、1ヶ月以上も札幌に帰省しゆっくり渡航準備が出来ました。

最後に故郷を楽しんだのですね。

そうなんです。その時に、合唱コンの思い出の曲を、瀬戸先生、雨尾先生、詩子先生も呼んで、音楽室でやらせていただいたんですよね。急だったにもかかわらず、東京から帰省していた子、札幌組も集まってプチ同窓会が出来ました。

ちなみに曲は?

森山直太朗の「さくら」です。
クラスのムードメーカーが指揮者で、私が伴奏。実家に大切に保管してあった手書きの伴奏譜を引っ張り出して。

また、「手作りの演奏会」を開催したのですね。

何より嬉しかったのは、渡航前に瀬戸先生に直接お礼を言えたことです。瀬戸先生の美しい英語の音と、あの愛とユーモア溢れる英作文のプリントがなければ、当時あんなに英語の勉強にハマらなかったですし、そうでなければ外資で働こうなんて思いませんでしたから。担任を持っていただいたことは一度もなかったのですが、勝手ながら私にとっては道を拓いてくれた恩師です。

この記事を読んでいる小学生に対して、メッセージをお願いします。

藤は本当に丁寧に、こんな面倒くさそうな生徒でさえも取りこぼしなく面倒をみてくれます。やっぱり「愛されて愛せるようになる」っていうのは本当にそうだと思って。どうやって人にやさしく丁寧に接するかを学べる空間だと思います。先生方も生徒さんたちも、穏やかに育っている方が多いので。出てから大変だって思うかもしれないけど、穏やかな環境を知らないより、知っていたほうがいいと思うので。多感な時期に、心を養っておく。そのあとポーンと出されて頑張るかは本人次第なので。

いつか荒波は必ず知ることになるから。

今のうちに、穏やかな世界を知っておくといいですよ。


撮影場所:藤女子大学
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/松永 大輔