進路について OGの活躍
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大黒有梨さん 第1話トップ
第1話

「30分外出の限界は、札幌駅だ」

ノースプレインファーム株式会社で
営業や運営を担当する大黒さん。
体が弱く、性格も暗かった?
そんな彼女の中高時代を紐解きましょう…。

藤に入学した理由を教えてください。

私の場合単純で、姉が入ってたからです。

お姉さまはどうして?

父の仕事関係の知り合いのお嬢さんが藤に入ってるって話を聞いて。寮があるし、ちょっと入ってみたいって姉が言ったみたいなんですよね。

それがきっかけでお姉さまが入って。

最初、私は「入らない」って言ってたんですよ。

それはなぜ?

「お姉ちゃんと同じレールに乗っかるなんて嫌だ」みたいな(笑)。でも、ギリギリになって、「私もやっぱり行きたい」。地元の小学校は1学年 40 人くらいいたんですけど、このままいくと中高までメンバーが一緒で、ちょっと環境を変えてみたいと思ったんですね。姉の話聞いてると、面白い話がたくさんあって。

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親元を離れることになりますが、寄宿は嫌じゃなかったですか?

寄宿は…、姉がいるのでほとんど抵抗なく。ただ、不安といえば、ちょっと体が弱かったんです。アトピーで、食べられない物があったりして。たぶんそれで精神的にも弱かった。
入学当初、性格暗かったと思いますよ。寄宿入って、2~3年目くらいで、性格、バッと変わったんですよ。
中1の時は、根暗だし嫌なやつだったと思う。

受験日のこと、覚えていますか?

ホテルに泊まったので、札幌駅から母親と一緒に学校へ向かいながら、「この漢字はどう書くの?」みたいな一問一答を。「“せんもん” って漢字どうやって書く?」と言われて、専門の「専」って「点」いらないのに、母が「いる」って言い始めて(笑)。
最後にかき回されたんですよ。それで、父に電話して、確認して、「いらないぞ」って(笑)。そっか、やっぱりいらないよね、ってなったら、入試問題に専門の「専」出たんですよ。

あぶない!

本当です(笑)

お母様、行ってほしくなくて、わざと…?

そんなことないです(笑)。あと受験の時、面接もあるから私、一張羅のパーカー着ていったんですよ。いいパーカーと、いいチノパンをはいてったんですよ。
いざ会場に着いたらまわりの女の子たち、アイドルみたいな恰好で。

ブレザーに、チェックのスカート。

そうそうそう。「これ、ミスったな」と思って(笑)。でも、たまたま隣に座った子が、クマのおっきい柄のついたセーターだったんですよ。それが、H さん。私も一番いいパーカー着てたし、H さんも、きっと一番いいセーターを着てた。
で、入学してからその話を H さんにしたら、「それ、一番いい服着てったんだよね」って、やっぱり(笑)。

H さんは、どちらから?

稚内ですね。

そしたら、すぐ仲良くなれましたね。

もう、すぐでした。

入ってみてどうでしたか?

最初は緊張の連続でした。学校生活も変わり、家庭生活も変わり。姉も「かまったら、友達できなくなる」と思ってたみたいで、お互い距離を置いて。
だから、姉とは、寮で一緒に過ごした、という感じはなかった。同じ学年の子と助け合って生活していました。1年生の時って2人部屋なんですよね。学期ごとに、部屋の入れ替えがあるんですよね。それで2回目に一緒になったのが、K さん。夏休みの帰省明けは彼女の元気さに救われました。

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寄宿の行事で同級生たちとホストの扮装

寄宿は、辛くなかったですか?

辛かった…こともあったかもしれません。でも全部助け合って乗り越えたから、今となっては全部面白い話になっている気がします。

帰省はどれくらいの頻度で?

一番最初に帰ったのが、5月の連休。そのあと6月に1~2回。夏休みまではJRの中で泣きながら帰って。それを最後に泣きながら帰ることは多分なかったと思います。まあ帰省の移動はずっと姉と一緒だったんですけどね(笑)。

担任の先生は?

佐藤恵子先生です。

では、恵子先生の最後の教え子ですね。

あとから聞いた話だと、母が面談したときに恵子先生にすごく心配されてたみたいで。最初のほう、けっこう私はズケズケいろんなこと言っちゃうから。成績とかも隠してなくて、むしろ聞いちゃってた。みんな、聞かれたくなかったらしくて…。ちょっと避けられちゃった時期があるんですよね。地元に帰りたいって内心思っていました。
それで、悩んでいた時期もあったけど、すごくさっぱりした友達に出会えて、自分を持ってて、すごくみんなのことを考えている子だった。自分もそうなりたいなって。だから最初ちょっと距離の詰め方を間違ったかなって。

支笏湖遠足
支笏湖遠足

中1の時の人間関係は、みなさん悩みますよ。

知り合いもいないし、早く仲良くならなきゃって、焦ってたのかもしれないです。
寄宿舎の同級生と、色んなことを助け合って生活しているうちに、考え方とか、気の使い方とか分かってきて、そこで少し自分なりに成長できたんだと思います。中1の冬には、もう学校と寄宿が大好きでした。

寄宿の思い出を教えてください。

寄宿って、中学校の間、平日1日 30 分外出できる時間があって。
「 30 分外出の限界に挑戦しよう」っていう話を同級生として。あの真面目な A さんとです。
たぶん…中1の9月くらいですね。30 分外出でどこまでいけるか?っていう話になって。その時期、六花亭のスイートポテトパイという秋の限定品があって。あれを食べたいよねって話になって。

じゃあ、北 20 条の六花亭へ?

いえ、札幌駅の地下。

札幌駅?!

北 20 条の方は、地理がよくわからないから。札幌駅までダッシュでいけば、 10 分、買って5分、で 10 分で戻ってこれば、25 分だっていう…(笑)。

地下鉄を使わない、地上の計算なんですね(笑)

地下鉄だとロスタイムがあるから。

じゃあ、最短距離で。

行ってみようってなって。ダッシュで札幌駅まで行って(笑)。ジャージで行ったと思います(笑)。本気だから(笑)。ダッシュで行ってスイートポテトパイだけ買ってまたダッシュで帰宅。たぶんエスタだったと思うんですけど。「 30 分外出の限界は、札幌駅だ」って(笑)。しかも決めて、計画も、「ここにこれが売ってるからこのように買って」っていう。

他に一切目もくれず(笑)

中1。可愛いですよね。

寄宿の友人と、学校の友人、どちらのつながりが今は強いですか?

ぜんぜん違う感じなんですよね。寄宿の友達はどっちかっていうと家族みたいな、そんな感じですね。みんなで集まるのも、「帰省したい」と同じような感じ。

妹さんも藤に入学してくれましたね。

1年間だけ姉妹3人揃った年があって(高3、高1、中1)、周りの方が「ついに来たな!」って感じでした。寄宿は学年ごとにけっこう特徴があって、元気な学年とか、大人しい学年とか。
卒業したあとに、「大黒姉妹がいた学年は、みんな平和だった」ってシスターや寮母さんに言われました。

藤波会のメンバーと
藤波会のメンバーと

お姉さまも藤波会でしたが、自分も入るのかな、とは思っていたんですか?

いや、全然全然。「私、お姉ちゃんとは違う道を行くんだ」と思って。放送局に入ったんですよ。

中2から?

中2から入って。そのとき、茶道部、テニス部にも入ってました。

すべて、高3まで?

ずっと続けましたよ。

毎日忙しいじゃないですか…!

学校祭とかで忙しい時期は、茶道室でお茶とお菓子急いで食べてから藤波会室行ったり(笑)。
放送局は、先輩に誘われて。放送局だと藤波会と一緒に活動する機会が多くて、メンバー選ぶときに、当時の同じ学年の藤波会の人たちが「大黒いいんじゃない?」ってなったみたいです。

指名されたんですね。

そうそう、高1の時、会計をやったのかな。高2で文化委員長。学校祭の時、文化委員長って本当に講堂にずっといるんですよ。暗闇とともに…(笑)。立ち位置貼ったりとか、「次の人こうしてください」とか。(学校祭の)講堂発表する人って、曲者多いんですよね(笑)。そういう人たちとも、うまくやらなきゃいけない。シナリオみたいなのを事前に提出してもらうんですが、それと全然ちがうことをやりはじめたりするんですよ。リハーサルのたびに。
文化委員長の経験は結構…ためになりましたね。時間配分とかも全部しなきゃいけないんですよ。詩子先生と一緒に、事務の木谷さんと世間話しながら(笑)。
学生生活で大人の人と仕事をするってあんまりない。「大人の人ってこういう風に考えてるんだな~」とか。そういうのがすごく勉強になりました。

学校祭のうちわ
学校祭のうちわ

高3の学校祭は、元藤波会役員が運営する「お祭り横丁」ですよね。

横丁の中の、会計をやったのかな。学年全体で結構仲良かったし、だいたいみんな言うと聞いてくれるし。大人だから(笑)。

顔もわかっていますしね。「この人に言えば」って人に伝えればいいわけで。

交渉の仕方ってわかるじゃないですか。横のつながりがあったから横丁は苦労してない…。でも、苦労したことのほうが思い出に残りますね。いちばん大変だったのが、私たちの時に学校祭の時期が変わったんですよね。

9月から7月になりましたね。

7月って本当に準備期間がなくて。パンフレットとかも外注してたのが、時間ないからって自分たちで刷らなきゃいけなくなったり。だからって自分たちの代からクオリティを落としたくなかった。「残業」ってシステムを藤波会で知りましたね(笑)。「残業」と「休日出勤」(笑)。

学校祭以外で思い出に残っていることはありますか?

カナダの研修旅行。ホームステイ先が、スリランカのご家庭で。手でご飯食べるようなお家だったんですよ。ちょっとそこで度胆ぬかれちゃって、全然コミュニケーションとれないし、ほんと困りました。「人種のサラダボウルってこの事か…」と。

先入観で、「白人のみなさんと西洋式の生活」って思いますよね。

ホストファミリーは、お父さんと、お母さんと、同い年くらいの娘がいました。その子はけっこう気が強くて。あんまり遊んでくれなくて。ファッションが好きで、すごいきらびやか。私は、youtube ばっか観させられてたんです。パソコンを与えられ、「これ観てろ」って。

研修に参加した生徒からは、一緒にお出かけしたって聞きますけど…。

最初のホストファミリーとのお出かけは、知らない人のお葬式。法事みたいなものだったかもしれない。全然なじめなくて。最初の1週間、「何しに来たんだろう?」って。

ホストファミリーとわいわい過ごすイメージだったはずが…。

他の友人たちは、そうなってましたよ。でも、自分のとこだけ放置されてて、比べちゃって悲しくなってました。

食事は?

蒸しパンを一緒に作ってくれたんですけど、実は1週間分の昼ご飯でした。それをひたすらお昼ご飯にもたされて。
ある日、他のご家庭のホームパーティに夜連れていかれて。「子どもは上で遊んでなさい」って、2階に集められたんですよね。その時、自分だけ知らない子だし、英語もそんなにしゃべれないからポツンと1人になるじゃないですか。みんな親戚とかいとこ同士で楽しそうに遊んでるのに、地獄。でも、1人、話しかけてくれて。当時、「花より男子」っていうドラマが流行ってたんですけど、「『花より男子』って知ってる?」って言われたから、それが会話の糸口になって。「嵐の曲いいよね」みたいに言われて。(これ、来たぞ…)と思って(笑)。一発逆転のチャンス。別に踊れないのに、「それね、踊れるけど?」みたいな感じでいって(笑)。その場で私、創作ダンスを披露したんですよ。嵐の曲に合わせて。

全然違う踊りなんですよね…?

全然違う(笑)。でもみんな、『花より男子』のOPで曲は聴いてるけど、実際の踊りは知らないから。「これが嵐の踊りです」って踊ったんですよね。そしたら盛り上がって、そこから、仲間に入れてもらえるようになったんですよね。

そうなの?!

そう(笑)。
気持ちを表現できた。やっぱり「殻を破る」って大事だなと思って(笑)。その時に、自分の中でふっきれたんですよね。
カナダに行って、「出せない」状態…根暗な性格に戻っちゃったんですよね。
そもそも私、自分を出すのって時間経ってからじゃないとなかなか…。カナダ行って、知らない人ばっかりで、誰かのお葬式にも連れて行かれるし…。

でも、勇気を出して踊った瞬間、ふっきれた。

そう。視界が開けました。

その後、ホストファミリーの娘さんとは?

ずっと遊ぶようになりました。「youtube でもみてな」から「一緒にyoutubeみよう」に変わったんですよ。

認められたんですね。

仲間入りさせてもらえて。「こいつやるじゃん」って。
母にこのエピソード話したら、「じゃあ、あんたは乗り越えられるんだよ」みたいな話になったんですよ。私は笑い話程度に話したら、実は成長物語だったっていう(笑)。その時から、「悩んだら、自分で答え出せる」って気がついた。
だからすごい…濃い2週間でした。

高校球技大会
高校球技大会

藤の学校生活をふりかえってみて、いかがでしたか?

楽しかったですね。笑いすぎて、本当に毎日笑いすぎて。でも受験期間とか、やっぱりみんなイライラしがちなんですよ。寮だとみんな一緒に住んでて、志望校もちがうし、受験期間もちがうし、受験方法も違うから。私は…AO(今の総合型選抜)で入ったから、早い時期に、8月くらいから小論文書いてました。

明治のAO、そんなに早かったですか?

10月には合否が決まる試験なんです。私が受けたのは「地域AO枠」。将来、地域に戻って活躍したいと思ってる人の枠。それが、すごく試験が早くて。だから私、お祭り横丁の時、実行委員やってたけど、受験真っ只中だったんですよ。でも、それと受験期間を両立できなくてどうすると思って。学校生活と受験は別だと自分はずっと思っていました。

えらい!

どうしても「勉強=学校」みたいなところがあるけど、学校生活って勉強だけじゃない。だから、行事はいつも全力。ただ、それを他の人に強要するつもりもなかったです。受験で余裕のない子もいるだろうし。だから、受験で忙しい子も、なるべく行事に参加できるような方法を考えてました。「受験だからやんなくていいよ」というわけじゃなくて、「じゃあこっちはやっとくから、こっちだけ参加してね」とか。

できる範囲のことを交渉して…。

一緒にやってもらえるようにしてました。6年生のときは、クラス全体がそういう雰囲気だったので、すごく仲のいいクラスでした。

大黒さんは、人を笑わせたり、人を動かしたり、他者を動かす才能がありますね。

みんなでやるのが好きだっただけです。色んなことに関わらないのは簡単だけど、少しずつでも力を合わせる方が良いものができると思っていました。

小学生の保護者のみなさまへ、メッセージをお願いします。

私は、小6の時に親元を離れて寄宿生活をさせてもらいました。最初は、苦しいこともあったけれど、
本当にかけがえのない6年間を過ごすことができました。苦手なこと、得意なこと、6年間かけてじっくり自分を見つめることが出来て、個性豊かな先生たちや友人に囲まれて、強い人間に成長できるはずです。
個性を生かしながら、柔軟に考える力を育ててくれるのは、藤女子の良いところだと思います。


撮影場所:ノースプレインファーム株式会社
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/高橋 巧