進路について OGの活躍
進路について OGの活躍
大黒友梨さん 第2話トップ
第2話

丸亀製麺で「洗い場の神」って呼ばれてた(笑)

暗い性格が一転、
みんなと何かに取り組むことが好きになった大黒さん。
卒業後は、教育?水産?彼女が選んだ道は…。
大学時代について、お話をうかがいました。

進路のことを聞きたいのですが、3姉妹みんな「農学部」ですか?

3女だけ商学部です。姉が北大の農学部、私は明治の農学部、妹は同志社の商学部です。

いつ、「農」にしようって決めたんですか?

5年生の時、担任の遠藤先生に、「先生向いてるよ」って言われて、「そうなんだ」って思って。なんか、「向いてる」って言われた職業に向くじゃないですか。
でも、真剣に進路について考えた時に、しっくりこなくて。「教育じゃないんじゃないか」って。私の家、母方の祖父は漁師をやって、父方の祖父は農業をやってる。なので「これをやるしかないんじゃないか」って思って。
教育学部に行かなくても教師になれるし、なにより専門性のある勉強をした方が将来の可能性が広がるのではないかと考えました。もちろん教育が専門性がないってことじゃなく、私の場合はそうかなと。それで、水産学部と農学部に絞りました。

水産と迷ったんですね。

水産は東京海洋大、農学部は北大、千葉大園芸学部、明治農学部、3つみたのかな…。千葉大に行ったときは、電車乗り継いですごい遠いイメージで。「これはアウトだぞ」と思って。東京海洋大は、品川のど真ん中にあって立地はすごいよかったんですけど、あんまり自分が「水産でなにをするのか」がオープンキャンパスに行ってもつかめなくて。
大学って将来のために行くわけじゃないですか。大学行くのがゴールじゃないから、その先を描けないといけない。明治大学って、総合大学なんですが、理学部と農学部だけキャンパス違うんですよね。生田キャンパスって、神奈川にあるんですよ。で、オープンキャンパスに行ったら、リヤカーで白菜運んでる人がいて「あ、もう、ここだ」って私なったんです(笑)。イメージが湧きました。母が、度胆抜かれてて。「あんた、こんなど真ん中で白菜運んでんだね」って。でも、「ここでなら、いける」と思ったんですよ。わかんないけど。一番イメージがついたのかな。

具体性が目の前に現れたことで、ピンくるものがあったんですね。

そうそうそう。

受験とAO、両方考えていましたか?

私AOで入りたくて。その方が大学に入った時に明確な目標ができると思ったんです。
藤では真ん中くらいの成績はとってたんですよ。でも、好きな勉強と嫌いな勉強がはっきりしてて。私、数ⅠAは 90 点台とれるのに、数ⅡB入ったら一番下のクラスにいって(笑)。だから、得意科目と不得意科目の差が…。
明治がいいなと思った時に調べたら、「地域AO枠」があるのを知って、「私のための受験だ」と思って(笑)。

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どのような準備をしましたか?

受験のために一回実家に帰りました。やっぱり、私の場合、農業といえば実家。実家のこともよく知らないのに、地域に帰りたいって言っても説得力がないので。小論文の文章の内容は、自分の言葉で書かないといけないですし。自分の言葉で書けるのってたぶん実家のこと。それ以外は付け焼き刃にしかならないと思いました。

面接の準備は?

色んな先生に練習してもらいました。最初の書類審査は、調査書と志望理由書。1次試験がグループディスカッションと面接。2次試験がプレゼンテーションと小論文と学部の先生全員との面接。

3段階も!

けっこう大変でした。グループディスカッションは、1時間くらい大学の先生の講義を受けて、その内容についてみんなで話し合うんですよ。でも、受験生はみんな農家のせがれ。しかも、農業高校行ってる子ばかり。このAOで、普通科の高校から来てるの私くらいで。でも、今まで藤女子で乗り越えてきたことを生かして、「一番先に発言しよう」って決めてたんですよ。一番先に発言することで、全体の空気をまず作れると思って。

まずはインパクト勝負。

インパクトで勝とうと思って。その勇気はあったんですよね。やっぱりみんな緊張してるから、先生が「~だよね」って質問してもシーンって。その時に、一番先に発言して、そこから話がスタートできたんですよ。

面接はうまくいきましたか?

2次試験は「気になってる農業問題ありますか」とか「普段の学校生活どんなことをしてますか?」とか。面接も乗り切って。でも、覚えてるのは「私、落ちた」と思ったんです。他の人たちの知識がすごいから。
ただ、藤で叩き込まれた挨拶と返事はここでもすごく役に立ちました。基本的なことが、結局大事でした。

大学時代
大学時代

晴れて志望大に入り、久しぶりの共学、いかがでしたか?

「男の子ってこんなでかい⁈」って思いました(笑)。小学校以来なので。声変わりってなに⁈みたいな。慣れなくて、ぞわぞわしましたね(笑)。
入学したのは農業経済系なので、理系にしては女子多め。でも、2:1だったので、「女の子1人につき、男の子2人あたるの?!」って思ってたんですよ。「ハーレムじゃん」と思ってたら、私、一番最初に仲良くなった子がすごい可愛い、小さくて、女の子らしい子だったんです。性格も良くて、屈託なくて、飾らない感じの子だったんですよね。大学入って2ヶ月くらいで「ちょっと大黒」って呼ばれて、「なになに、告白?」と思ったら、「あいつと映画に行きたいんだけど誘ってくれないか」ということを4人ぐらいの男の子から言われて(笑)。

計算上、ひとり2男子のはずが。

「わたしの取り分とられた!」って思って(笑)。とりあえず男の子はあたらなかった。

部活やサークルには入りましたか?

ラクロス部に入りました。

女の子ばっかりでは?

その時疲れてたんでしょうね。「男子いる」ってウキウキしていったけど、女子の輪の中に行ったら安心しちゃった(笑)。ラクロス部、最初選手で入ったんですけど、私運動神経がなくて。そもそもチームスポーツだから、「これ、私みたいなのいたら邪魔だな」って、チームを客観的に見ちゃったんですよね。途中でやめるのはいやだったから、「マネージャーになります」っていって、4年間女子ラクロス部のマネージャーをやり続けました。

じゃあ、早くに選手を見限ってマネージャーに。

なにかひとつ武器が欲しいなって思って。で、審判試験っていうのがあって。ルール覚えて、全員受けたんですけど、たまたま 10 何人いる学年の中で私だけ受かって。「これきたんじゃない?!」と思って。
チームに審判がいるのって強いんですよね。普段の練習でも、ファールとか吹いてあげられるから。

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重宝されるんですね。

選手じゃないから、自分の練習の邪魔にもならないじゃないですか。選手からしても、マネージャーが吹いてくれたほうがいいし。で、マネージャーやりつつ審判もやりました。
部活は週5であったので。始発で行って、学校行って、夜バイト行って、終電で帰ってっていう生活を、4年間してましたね。
でも大学も、私、AOで入ってるから、先生に顔を覚えられてるんですよね。
だから部活だけにお熱になるわけにいかなくて、そういう意味でも、マネージャーくらいじゃないとやってけなかった。日本一目指してる部活だったから。

東京なら、層が厚いから地区リーグで勝つだけも大変でしょう。

70 個くらいあるのかな…明大女子ラクロス部は、東京の中で毎年ベスト4とかに入ってるんですよね。東京で1位とったら、全国試合に進めます。

ちなみに日本一は味わえた?

私が4年の時にベスト4で、卒業したあとに日本一になってました。

農業の勉強はどうでしたか?

AOで入ったから、それなりにしなきゃいけない。やることはやんないといけないんですよ。
農学部は、すごい色んな事をさせてもらって。梨農家さんのお手伝いにいったり、米農家さんに1週間泊まり込んだり、中国に農業研修に行ったり。酪農はやったことあった、っていうか近くで見てるからなんとかくイメージつくんですけど、私、野菜農家とか、してるところをみたことがなくて。都会の中に農家があるって思わないじゃないですか。「農用機入らないじゃん」とか思ってて。多摩に梨農家さんがあって。
実は私、地域づくりサークルに1個入ったんですよね。

いいですね!

そこはすごい熱い先輩が集まるところで。農業に特化してるわけじゃなくて、「商店街で何かしよう」とか、地域の農業だけじゃなく、農業を生かして地域を活性化する、みたいなサークルでした。そこの活動はとても面白かったです。
その時に、色んな企画をしたり、準備をしたり、調整をしたり。藤波会でやっていたようなことができて、力を発揮できたと思います。

卒業後の進路は?

留学をしようと思ってたんですよね。園芸系に興味があって。デザイン会社さんにアルバイトに行かせてもらったことがあって。そこが、地域を創造するデザイン…グランドデザインっていうんですか?「そういう仕事もあるんだ」と思って。で、それを、地域でもできるんじゃないかと思って。興部に持ち帰ったら、ただの田舎町じゃなくて、楽しい…全体のデザインがあれば。

有機牛乳

統一感があると、いいですものね。

それができるんじゃないかと思って、興味を持って。ガーデンデザインにもすごく興味があったので、技術を学ぼうと。技術あったほうが人は強いなって思って。留学しようと準備していたので、就活はしてなかったんですよね。英語の勉強をして、バイトしまくって。

ちなみにバイトは何をやってたんですか?

丸亀製麺で4年間働いてました。「洗い場の神」って呼ばれてたんですよ(笑)。洗い物が速すぎて。洗い場って、他の、天ぷらコーナーとか、製麺コーナーとか、全部の洗い物を、そこを掃除するために引き受けるんですよね。だから、洗い場が早く終わらないと全部が早く終わらない。滞っちゃうんですよ。早く終わらせて、わたしはバイトの子たちと遊びたかったんです(笑)。仕事の後に食べるラーメンは格別でした。

海外留学を目指して、お金を貯めて。

大学、在学しながらだと、お金かかっちゃうから、卒業してから海外へ行って、日本に戻ってきてから就活しようと。でも、ちょうど、大学4年の時に、家族に色々あって、姉妹3人大学がかぶっちゃったんですよね。

それは、すごいですね…。下の2人が私立で、本州で独り暮らしをしている…。

「1年だけ、奨学金をとってほしい」って言われて。書類を準備していたとき、はじめて親の給与明細を見たんですけど…自分に仕送りしてくれてる額もあるじゃないですか。それを見て私、現実にかえったんですよ。「留学とかしてる場合じゃない」って。まず働こうと思って。

児童会館で子どもたちと
児童会館で子どもたちと

妹は大学に入ったばっかりだったから、心配かけたくなかったのもあります。とりあえず、家族のなかで1人でも安定してたらなんとかなるかと思って。で、学生気分やめて、そこから就職活動をはじめたんですよ。最後の1年間は「仕送りいらない」って言って。就職活動と並行してバイト3つくらい掛け持ちして。でも部活もあったから。就職活動、丸亀製麺、単発バイト、学校、部活で一体どういうスケジュールを組んでいたのか…。

部活をやめようとは思わなかったんですか?

最後の1年だし、夏までだったからがんばろうと思って。学校祭の時と一緒で、学校生活は学校生活、就活は就活だから。その時から卒業後は、北海道に帰ろうと思って、まずは札幌。社会のことを知らないまま自分の会社に入っても、どうしようもない。自分が即戦力として成長して帰ったほうが、会社のためにもいいかなと思って。1回別のところで就職しようと思って。でも就活はじめるのが遅かったから、ほとんど1次試験終わってしまっていて。たまたま、まだ1次試験が終わってなかったのが、さっぽろ青少年女性活動協会。児童会館の運営とか、野外施設の管理、環境系の仕事だったり多岐にわたる業務があったので、面白そうだなと思って。大学入試の時と同じで、挨拶と返事、そしてしゃべり倒して。受かりました。

何年くらい働いたんですか?

2年2か月。児童会館で働いて。それもそれなりに楽しくて。すごい、職場の先輩たちによくしてもらったんですよね。一番年近い人で 40 歳くらい。上は再雇用のおじいちゃんで 70 歳くらい。そういう年上の方が、すごくかわいがってくれるんですよ。未だに連絡とってて。札幌のデパートで催事とかしても、顔出してくれたり。育ててもらってすごく感謝してますね。

在校生に向けて、メッセージをお願いします。

学校生活を全力で楽しんでください。学校生活は勉強だけじゃなく、挑戦したら必ず自分の力になります。いま楽することではなく、将来楽しめることを考える。6年間を藤女子で過ごせたこと、必ず卒業後に誇りに思えると思います。学生生活でしかできないこと、様々なことにチャレンジして視野を広げて素敵な女性になって欲しいと思います。


撮影場所:ノースプレインファーム株式会社
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/高橋 巧