進路について OGの活躍
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大黒有梨さん 第3話トップ
第3話

「帰ってきてくれないか」

留学をやめ、札幌で就職することに決めた大黒さん。
いよいよ「約束」を果たす時がやってきました。
興部で待っていたものとは…。
彼女の「使命」にせまります。

児童会館のお仕事が2年2か月。短いですね。

5年くらい働きたかったんですけど。ある日、父が札幌に来た時に、真剣な話になって、「帰ってきてくれないか」って、はじめて私、お願いされて。今まで父は娘にそういうの見せなかったんですよ。多分、本当に困ったんでしょうね。で、私は本当はもうちょっと…やっぱり3年目だと色んな役割も任されてきて、会社の人たちにもすごく良くしてもらっていて、仕事が面白くなってきた時期で、そのタイミングで帰ってきてよって言われてしまった。でも、私はそのために学校ずっと行かせてもらってたから、これは腹をくくるしかないって思って。「わかったよ」って。
帰ってみて…、仕事として親と関わるって、けっこうしんどいことがわかりました。普通だったら、仕事の嫌なことって家族に吐き出したりできるんでしょうけど、そうじゃない。しかも、12 年ぶりに帰って、私からすると実家以外の生活のほうが長いんですよね。その、文化とか、自分の人格とか形成されたのはもう、離れてからだから。異文化の人と一緒に暮らしはじめる、みたいな(笑)。

おばあさまと
おばあさまと

親御さんも、「 12 歳までの大黒さん」のイメージでやっていくから、違う1人の人間とまでは、切り換えられなかったんでしょうね。

私最初、事務で入ったんですよね。それなのに、私が入社して1週間くらいで、レストランの店長が「退職します」…。私、7月に帰ってきたんですけど、8月って一番の繁忙期。でも誰も、ミルクホール(レストラン)の店長を引き継げる人がいないってなって、私に白羽の矢が立ったんです。その1カ月くらいがつらかった。2週間でレストランの業務を全部覚えなきゃいけなかったんですよ。うちのレストランは、食事だけじゃなくて、販売もやってるし、ソフトクリームもやってる。小っちゃいレストランな割に、やることが多いんですよ。

ソフトクリームは、テイクアウトもありますし。

それを、「運営する側」として覚えなきゃいけないんですよ。仕事をこなす、じゃなくて、運営する側。その引き継ぎ2週間からの繁忙期は地獄でしたね。
でも、なんとかやりきったんですよ。もう、気合で。休みの日もずっと仕事の準備をしてました。

ミルクホールにて
ミルクホールにて

今は、戻ってきて2~3年経ちましたか?

4年ですね。
母も、味方してくれるときはあるけど、厳しいときは本当に厳しい。「それはちょっと違うんじゃない?」みたいな。

お母様は、栄養士の資格もおありだし。

やり方とかで、すごいぶつかるんですよね。「今の現場のことを考えると、こうじゃないといけない。」「でもさ、根本はこうだよ」みたいな。

戻ってきて、「後悔」「帰ってよかった」、どちらが強いですか?

今はもう、必死すぎて、そういう感情じゃないんですよ。とにかくやらなきゃみたいな。
最近は、上司につっこまれて(笑)。痛いところを(笑)。「ただこなすだけじゃなくて、もっと深くやりましょう」。

やっぱり、社長の娘であるという周囲の期待感もありますものね。

でもたぶん私の感覚もよろしくないという…そういう感覚で仕事してきたから仕事がつらいのであって。カナダの時のように、踊り出すくらいの振り切り方が必要(笑)。根本はきっと自分の中に全部答えあるから、自分でコントロールしなきゃいけないんです。

大黒さん3_1

仕事をする上で、嬉しいことはなんですか?

私としゃべりたくて来てくれるお客さんがいるんですよね。「ゆりちゃんいる?」みたいな。純粋に嬉しいですよね。それと、単純ですけど「美味しい」って言ってくれると、本当にうれしいです。
藤の友達とか、大学時代の友達とかが、すごくうちの商品を買ってくれるんですよね。嬉しいのが、「大黒ん家のだから買ってる」じゃなくて「大黒ん家のだから買ってみたら、すごくおいしかったからそのあとも買ってる」っていう人が多いんですよね。言ってくれてるだけかもしれないけど(笑)。
ユーザーになってくれてるのが、すごい嬉しいですね。やっぱり、自社の商品をおいしいって言われるのが一番うれしいので。
ミルクホール(レストラン)は、うちの商品を知ってもらうためにやってるんです。レストランはあくまでも営業部なんですよね。商品を知ってもらうまでが、私の仕事なんです。人生をかけてやってるので、苦しい期間があるのはある程度しょうがないかなとは思います。

一番苦しいことは、なんでしょう?

敷地から出れないことですね(笑)。通勤徒歩 30 秒。

でも、ご結婚されて新居ができましたね。

だからちょっとウキウキなんですよ。結婚したら、自分の心にも少し余裕がでるかなって思います。
精神的な余裕って、必要ですよね。そういう余白がないと、新しいことを考えられないんですよね。

一緒に新居の壁塗り
一緒に新居の壁塗り

アイデアって、何にも考えてない時に浮かぶという研究結果もあります。

仕事関係じゃない友達としゃべってる時のほうが、けっこう仕事のアイデアとか、「あ、レストランのメニューでこういうの出したらおもしろいかも」とか。すごく浮かぶんですよね。敷地から出たときのほうが(笑)。

では、新しい環境に期待を込めているわけですね。

そうです。あと、仕事で楽しいなって思うのは、けっこう飲食店とかで、うちの商品を使ってくださってるところがたくさんあって。札幌にあるフレンチの「cantine SEL」さんとか。そういう人たちとしゃべったり、仕事のつながりができるというのは、すごく面白いです。
「良い食品づくりの会」という全国組織に、ノースプレインファームも入ってるんですよね。体にいいものっていったら語弊があるかな…色んな意味でよい食品っていうのがあって、そこに加入してて。醤油屋さんとか味噌屋さんとか、伝統的な食材などをつくってるみなさんの団体に入って、食品の勉強をするんですよね。そういう人たちとつながれるのが面白いです。

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「興部の会」も加入しているんですよね?

あ、それは、自分で立ち上げたというか。なんとなく仲良い人たちで。興部に居酒屋がたくさんないので、いつも同じとこ。たまに、違うところで飲んだりしたいよねっていう話から広がって。興部の食材と、別の地域のお酒を組み合わせた居酒屋を年に2~3回やってるんですよね。

臨時のバルみたいなものでしょうか。

そうそう。そういう企画をするのは、楽しいです。
去年2回やったかな?今年もやろうねって言ってたけど、コロナで…。だからまだ周知はされてないと思います。

藤波会のような活動があったほうが、大黒さんはいいんでしょうね。

結局ずっとやってるんだと思います。ちょっと、刺激があったほうがいいんだと思います。

今後は、どのように働いていきたいですか?

やっぱり、両親や先祖が作ってきた土台があると思うんですよ。たとえば、こないだ亡くなった祖父(北海道信用漁業協同組合連合会会長をつとめた清水利平さん)も、志を持って漁業に取り組んでいた。私のベースは、たまたま1次産業なんですけど。私ができることっていったら、意志を継いでいくこと。それが今までやってきた形かどうかわからないですけど。だから、とりあえず、家族がやってきたことを繋いでいきたい。そのためには、勉強と経験ですね。

どのような勉強が必要なのでしょう。

全部です。農業、経営、製造、販売知識…やることだらけです。まずは基礎から、身の丈に合ったことをとにかくやっていくしかない。身の丈の合ったことっていうのは、常に変化しないことではなくて、その都度成長していかないと(笑)と思ってます。

今後、どのように働いていきたいですか?

会社の規模って上限があるけど、働いている人が「楽しい」って思うことって上限がないじゃないですか。楽しいとか笑えるとか。重要だと思うんですよ。
今は従業員として会社に携わってるけど、今後もし経営者として…その時やっぱり、社員の人たちの幸せなかたちっていうのを、追求していかなきゃいけないなと思います。

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小学生の子どもたちに、メッセージをお願いします。

私、藤に入る時の条件が、「将来興部に戻ってきて、きちんと仕事をする」っていう約束だったんです。ちゃんと目標をもって入ったから、物事を決めるときは基本的にはぶれない。小学6年生でそういう目標を持たせてもらって、生まれた場所とは違う環境で色々なことを学びました。一度、家族や地元を離れることで、私の場合は生きる力がついたと思います。

「藤に入ること」をゴールにするのではなく。

私の場合、ゴールは「地域に戻ること」だった。地元を離れて寄宿に入れさせてもらっているから、力をつけて戻らなきゃいけない。その目標で入学したわけだから、それをやらないと、「学生生活ただ遊んだだけ」みたいになっちゃう。

えらい!

地方にいるとやっぱり、同じメンバーで上がっていく。そのことが悪いわけじゃないし、いい面ももちろんある。でもやっぱり、藤で色々な経験をさせてもらった、その責任が自分にはある。一番の目的は、「地域のため」だから。自分は、約束をやぶることがいやだったんです。

興部のために生きることは、大黒さん自身の目標でもあるんですね。

そうです。藤に入ったときの目標でもあるし、自分の学生生活を肯定する生き方でもある。ちょっとかっこよく言ったら、そんな感じになっちゃうんですけど。


撮影場所:ノースプレインファーム株式会社
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/高橋 巧