進路について OGの活躍
進路について OGの活躍
鈴木伽奈さん 第1話トップ
第1話

私が秋元康になって回すから、
みんな自分の担当の人を調べてきて

北海道新聞社で
広告の営業やイベントの企画・運営を担当する鈴木さん。
「ボケ」に対する「ツッコミ」役だった?
そんな彼女の中高時代を紐解きましょう…。

藤に入学した理由を教えてください。

私は父が転勤族で。次から次へと学校が変わったので、1つのところで長く学んだり、人間関係を築くことを親が望んでいたのもありました。私も転校で小さいながら色々と辛かったこともあり、親と同じような気持ちがあったと思います。もちろん転校してたくさんの友達ができたり、いい経験もあるんですけどね。
私の母も私立高校出身で、女子校も楽しかったという記憶と大学を見据えて考えると私立の学校はいいかなということもあったようです。いろいろ学校を見て、共学よりは女子校の方がいいなと思いはじめて、2校受けて、藤女子に来ました。

鈴木さん1-1

どうして藤を選んだのですか?

まずは、通いやすさもありました。小学生ですから(笑)。あとは、藤は6年間一貫校で高校から入学が出来ないので、人間関係も深く濃くなるところで友達が作れるんじゃないかと、母が。それとなんとなく子供心ながら「合う」なって。

どんなところが「合う」と感じましたか?

たぶん受験したときの感触と、何度か説明会や勉強会に参加して学校の雰囲気とかですかね。12 年くらい前のことなのでうろ覚えですみません。

いざ、入学してみてどうでしたか?

3カ月くらいは大人しかったような(笑)。それからはけっこう元気ハツラツな。1年3組。

担任の先生は誰ですか?

栗原先生です。

それなら、英語伸びたでしょう。

テストが難しすぎて、大変でした。

鈴木さん1-2

では、一番の中学校の思い出は英語?

英語の授業は、今思えばいい思い出です。
あと、藤はクラス替えが年に1回あるので、大きいイベントでした。人も変わるので。どちらかというと、緊張した方です。

クラス替えの思い出はありますか?

中3の時に、けっこう仲良かった友達みんなと離れて、ひとりだけちょっと違うクラスだったんです。新しく関係を作らなきゃいけなくて。そこで、私の仲良くなった子の中には先生の言うことも聞かない子もいて(笑)。
反抗期みたいな?当時担任は石川先生でしたね。

いまや校長先生です。

たくさん迷惑かけましたね。石川先生がおっしゃってくれた言葉で印象にあるのは、私が直接言われてないんですけど、たぶん母が面談した時に、「鈴木さんは信念を持っていて、まわりにぶれなくてすごくいいです」っていうような話をしていただいたんです。
合唱コンの練習で、仲の良かった友達は「歯医者で休みます」ってサボるんですよ。歯が痛いんで帰りますみたいな(笑)。私はサボりませんでした。石川先生に、「鈴木さんがパートリーダーになれば、みんな来るから」とすすめられても「それは嫌です」って言って(笑)断りました。そんなに言ってくださってるのに私も頑固ですよね。

中学校の時の鈴木さんは、どんなキャラクターだったんですか。

どっちかというと、けっこう私の学年は「ボケ」っいうか。それを一歩下がって見てて、ツッコむみたいな(笑)。
ワイワイしている人が多い中、そうじゃないみたいな感じでしょうか。

私の中では、すごいリーダーシップが取れるっていうイメージがあります。

ありがたいことによく言われますが、自分からは積極的にはリーダーにはならない。合唱コンクールも、指揮者とか全然やる気はなくて。平社員でやっていました。合唱コンクールも中高の思い出の中で濃いですね。

具体的な合唱コンクールのエピソードありますか?

私の学年が年1回の合唱コンクールに対して前向きで全力な子が多かったんです。自由曲の選曲からガチで。当日も前髪は7:3で、髪もしっかり結ぶ(笑)。
放課後の練習も毎日遅くまでやって。他クラスの練習の様子をこそっと覗きに
行ったり。音楽の先生を呼んで、たしか細貝先生や声楽やってた清秀先生を呼んで特訓してもらったり。優勝したら泣く。負けても泣くという。青春ですよね。

先生方との思い出はありますか?

進路を選ぶ時にいろんな先生から「東京の大学も考えたら」と言われましたが、私はよく言えば自分の意思が強い方、悪く言えば頑固なところもあったから、高校生ながら「北海道で就職したいな」と思っていたので、道内の大学。そして、隣にある藤女子に進学しようかなと。いろんなところから言われた記憶がありますね。それでも、私は「藤女子大って決めたんです」って(笑)。新山先生からも言われたような気がします。

鈴木さん、ものすごい日本史の授業で行った発表がうまくて、「先生になったらいいのに」と思ったんです。

そうおっしゃってくれたのも覚えています。

スクール形式の発表、うまかったですね。鈴木さんが舞台まわしをして、生徒役の人々が座っていて。

私が大枠になる台本書いて、私が先生役で班のメンバーが生徒役になって、各々担当する文化の特徴を考えてきてもらって質疑応答しました。

それを全部、鈴木さんが書いたってことでしょう?あれ、すごくよかったです。私、あの年は文化史をすべてグループ発表にしたんです。

なぜか曲も作らなきゃいけないんです(笑)。
それをやらなきゃいけなくて。でも、自分はそういう1からものを作るというのが好きだったから。その時はリーダー的な存在になって進めていたような気がします。2回目は、みんな発表にも慣れて、「やろう!」って感じでしたが。

2回目は、1回目の発表をみて、なんとなくイメージがついたんでしょうね。

2回目は、AKB に仕立てたやつだったような気がします。総選挙。元禄文化で、「松尾芭蕉」とかがセンターをかけて争う(笑)。私が秋元康になって回すから、みんな自分の担当の人だけ調べてきてねみたいな。小道具も自分で用意してねって。

では、高校2年生の段階では、リーダーシップを取る側になってるなって自覚が出たんですか?

高校1年生くらいからですね。学祭も自分たちでやらないといけなくなって。
2年と3年はクラスの責任者をやりました。3年のとき、結構大変だったっていう記憶があります。結果楽しいいい思い出ですが、そこに行くまでには涙あり。

涙の理由は何だったんでしょう。

方向性が定まらない。高校2年生の時は、私が仕切っても発言してくれる子が何人かいたので。けっこう活発に意見も出て。みんな知ってる「VS 嵐」っぽくした「VS 風月」にしようみたいな感じでまとまって。積極性のある子が、クラスに何人もいて活発に「これやろう、あれやろう」って、小グループを作って。「これで行こう!」って一直線だったんですけど。高3の時は、進路決めなきゃみたいな時期でナイーブなところもあり、この方向性でやるってなったのに、「やっぱ
こっちがいい」とか、「それならやりたくない」とか。みんなの思いが1つになりづらく、涙ありに…。

鈴木さん1-3

最終的には、どう大団円に向かっていったんですか。

私がいろいろとクラス全体には見えないところで、色んな人と LINE や放課後に話したりして調整をしましたね。「どういう気持ちで、ああ言っちゃったの」って。いろいろ調整しつつ、1人1人の意見を立てつつ。
それこそ私が藤女子に入って思ったのは、「色んなタイプの女の人に会ったな」と。
例えば、リーダーシップが取りたい元気な感じの子もいれば、本当に典型的な女子高生みたいな、「女子!」みたいな感じの子もいれば、大人しくて優しい平和な感じの子もいたり…ボソッという一言が面白い独自の世界観をもっている孤高の存在みたいな子もいたりと。

狭い世界だと思ったら、むしろ女子の見本市みたいな感じでしたか。

女子のテンプレが全部揃っているみたいな。飽きない中高時代でしたね。ですから、世間に出てもなんとなく、うまくやっていけたかなって。大学でも社会でも。

藤は、校則で「不自由だ」っていうけど、人間自体はみんな自由だもんね。

本当にそうなんです。いろいろ校則には規制はありましたけど。陰湿ないじめとか仲間外れもなく。みんな個々で生きてるみたいな。

学祭の話に戻りますが、最終的にはみんな納得してできたんですか?

いろいろな折り合いをつけてどうにか。法被の色もピンクがいいとか、ピンクは嫌だとか。じゃ、お店の番をする人だけ色を変えようみたいな。色を統一した方がグループ感あるじゃん?って。テーマカラーはピンクにして、店番する人は緑と青も着られるよって。パワーパフガールだからって。着たい人は着てみたいな。よく納得してくれました(笑)

そうね。最後は素直ですよね。

最後は素直。結論は。それもいい思い出ですね。みんな藤っ子はいい子多いですから。

調整するのが好きなんですね。

そうなのかもしれないですね。大変ではあるけれど結果良い方向になればいいので。私は自分の座右の銘を「縁の下の力持ち」としているので、それも藤っ子時代があって、あるのかもしれないです。

一番力を入れたことは、何ですか?

学祭もそうですけど、やっぱり勉強は中学校からずっとちゃんとやっていこうと。
当時は ABC クラスが数学と英語でありました。応用のクラスと基礎のクラス。
その時に、A に上がったらもうそこで頑張ろうと。

鈴木さん1-4

部活に入ろうとは思わなかったんですか?

最初、入ろうかなって思っていたんですけど、スポーツは不得意だったし、文科系もうーん。そのまま帰宅部でいいかなって。
今だから、時効だからいいかなって思うんですけど、中2とかの時、部活はせずに放課後ずっと学内で鬼ごっことかしていたんですよ(笑)。全フロアを使って。それもバレないように。「逃走中」みたいに。

じゃあ、鬼ごっこ部だったんだ。自分たちの中で。

そうですね。6~7人でメンバーは毎回変わったり、マックスで8人くらいです。中2の1年間だけ。ひそかにみんなが帰ったこのくらいの時間から 17 時くらいまで真っ暗になっているところに隠れたりして。鬼になった人は、全部のフロアを探すみたいな。で、17 時 30 分になったら、ここに集合って。2階のベンチ。

あはははは。ちなみに、先生方にはバレなかったんですか?

たぶん、バレなかったんじゃないですか。廊下で会っても、「あ、こんにちは」とか「さよなら」とか言って、ごまかして。忘れ物したかのような。遭遇した時には言い訳して。「あれ~?時計ないな~」的な。

きっと見た先生は、変だと思ったと思いますよ。

暗闇に立っているし(笑)。けっこう、そういうのをやってましたね。

鈴木さんはいつ頃、仲良しさんと出会ったんですか?

中1ですね。それこそ私たちグループ名、「元3」ってつけて。

1年生の「元3組」なんだ。

そうです。あと、嵐とかジャニーズが当時から好きだったから、そういう仲間もけっこういますね。今も定期的に連絡をとったり、ライブ行ったり。大学 4 年の時は嵐のライブ兼卒業旅行に行きました。藤の人達と行く旅行はずっと笑ってます(笑)。どこ行ってもボケるし、歌うんです。合唱コンガチ勢世代なので。

在校生に向けて、メッセージをお願いします。

一生の友達には出会えると思います。それこそ、大学の卒業旅行も藤女子勢と行きました。卒業後、嵐のライブも、藤の人たちと行ってました。常にいつ会っても変わらないし、中高のエピソードで盛り上がれる。一緒にいて、自分らしくいられる身近な存在に出会えると思います。くだらないけど楽しい日常を一番感じられたのは中高時代です。


撮影場所:北海道新聞社 札幌本社
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/高橋 巧