いらないものは捨てる。新しく改革しよう。
様々なキャラクターに囲まれ、
飽きない中高時代を過ごした鈴木さん。
卒業後は、藤女子大学に進学を決めます。
その理由は?
そして、大学生活でがんばったことは…?
進路の話を教えてください。志望は藤女子大学一択でしたね。
東京すすめられましたが、そこで生活してもなっていう。東京は遊びに行く場所でいいなって私は思っていたので。余暇でいくのがいいかなと思って、進路は選びました。藤女子大学、その中でも英文科って就職にも強いイメージ。そういうのもあって決めました。
女子校が 10 年間になるのも嫌じゃなく。就職を見越して、藤にしたという感じでしょうか。
実家からも通えるので、バイト代も自分で好きに使えるなと思いました。
鈴木さんは、なんでそんなに先々を見られるんですか?
たぶん、小さい時に転校とかもして。小2~5年の春まで附属小学校に通っていて、個性的な子が多くて。そこは男子も女子も関係なく。みんないろんな地方というか函館市のいろんなところから来ているってのもあって。そういうところで、いろいろと、勉強は大事ってことも学んだし、個の大切さも学んだり。
最初のうちは私も転校してきて友達も少なかったですが、どんどん学年も上がり、周りにも友達も出来て同じ方向のちびっこたちを引き連れてバスで通っていました。
藤女子大学への推薦が通ったあと、気が抜けたりはしなかったですか?
それこそ、一番最大にやらかしたのは、嵐のグッズを買いに行った時に、ユニクロのすごい蛍光のピンクのジャンパーを着ているのを見つかりました。翌日、教頭の渡辺先生に呼ばれて、「なんでそんなことしたの?」って。
それで、どうなったんですか。
「自分たちで考えろ」と言われて。「じゃあ、冬休み明けに、雑巾 10 枚縫ってきます」と。
発想が、藤ですね。
それでいいって。あと、反省文も出しなさいって。
ちなみに、縫いました?自分で。それとも、100 均で買いました?
ちゃんと、縫いました。縫いました。
藤女子大学に行った卒業生にきくと、同じ学園でも「違う」というんですが、鈴木さんはいかがでしたか。
全然違いますね。やっぱりなんだかんだいって、共学と女子校出身の差がありました。でも共学組とも交流はありました。仲のいい子もたくさんいました。
人間関係には困らなかったんですね。
中高から仲のいい M さんも一緒でした。大学からというと、たまたま私の近所で私のおばあちゃんが友達だった人の孫が、藤に入っていて。その子も嵐が好きで。Twitter で大学が始まる前に、みんなでグループ LINE とかを作って実は私の小学校の、小5の時にいた友達とも地元の小中学校が一緒で友達の友達みたいな子とかとの繋がりとか。あとは、同じ学科の子やここにきてもジャニーズのファン繋がりや学祭の実行委員会繋がりとかで仲良くなりました。
大学での一番の思い出を教えてください。
大学では、やっぱり学祭が一番かなと思います。大学祭の実行委員に入って。
正式名称は、藤陽祭実行委員会です。
藤陽祭実行委員会には、どうやって入るんですか?
まず新歓に行って、話を聞いて。最初の目的は、芸能人が来るからやってみたいっていうのがあって。
サークルの一個として並んでいるんですね。
執行会の次くらいな位置付けで。年間を通して、協賛を集めたり、パンフレットの広告を集めたり。だから今の仕事につながっています。でも、友達でやるって人があまりいなくて。1年間拘束されるし、大学祭の時期って、4連休くらいになるんですよ。授業もなくて。そこで遊びたいから。友達を誘うと乗り気じゃないからひとりで行きました。
単身で行ったんですね。
でも、そこで仲良くなった友達は今でも、社会人になってからも仲良くしています。違う学科の子で。ただ、1年生の時は仕事もそんなに与えてもらえなくって。3年生の5人くらいが、「全部私たちが回すから」みたいな感じになってて。
仕事もなくて辞めたいって思っていました。
悲しいですね。
辞めたいって思った気持ちを、同じ同期の子たち、ほとんどしゃべったことがなかったけど、打ち上げの時にそういう話になって。「来年どうする?」ってなって。去った人もいたけど、続けようって人もいて。2年生になると、自分たちは2番目だから、少しは仕事を与えてもらえるけど、やっぱり雑用ばっかり。
また「もう辞めたい…」みたいな。
またまた、悲しいです。
再び「どうする?」ってなった時に、7人くらい残ってたのかな。で、「がんばろう」と。「続けよう」って。
団結したわけですね。
次の委員長、副委員長、会計を決めなきゃならなくて。3年生になって、私は同期から委員長に指名してもらいました。「人事」に先輩は関与しないので。じゃあ、やりますって。
鈴木さんが、トップになったんですね。
副委員長の子は、英文科で仲良かった友達。実行委員を通して仲良くなった子です。お互い、辛さを共有して。その友達が、「カナがやるなら私は副委員長やる」って言ってくれて。その子もなんでもてきぱきやれる子だから。「じゃあ、やろう」と。自分たちが一番上に立った時に、1年生、2年生が雑用ばっかりって、これしんどいよと。絶対辞めるから、仕事を与えようと。
改革しようと動き出したんですね。えらい!
まず、部室をきれいにするところから(笑)。汚かったから、いらないものは全部捨てて。こんなのいらないだろうと。スタッフジャンパーもあったけど、これ何年使っていないんだろうって。全部捨てて。
藤女子の OG の方々、先輩たちから基金が入るんですよ。10 万円くらい。藤の木基金みたいなものが。そのジャンパーを 10 万で買っちゃおう。新調しちゃおうと。それをちゃんと広告、最後のパンフレットに、この基金をこれに使わせていただきましたって。いらないものは捨てる。新しくするものは新しく買う。新しく改革しようと。
えらい!
急に引き継ぎとか言われてもわけがわかんないから、「新しく、どんどん教えてこう」って話をして、ちょっと改革をしました。1年生とか仕事がなかったのを、「後輩たちにも任せよう」と。あえてそれこそ、「じゃがりこ」の「カル
ビー」から、「じゃがりこ」のタワーを作ることが協賛の条件といわれて。1年生に「みんなで自由に考えて。どう作ってもいいから。成功事例とかないから、好きにやって。困ったら言って」と。そしたら、みんな一生懸命やってくれて。
意欲があって入っているんですものね。
意欲があって、みんながんばってくれているし、2年生にも、「来年度は君たちがやらなきゃならないから、3年の仕事を一緒にやろうよ」っていうようにしました。
これで仕事を覚えて、と。
そんな感じで進めました。学祭の時に、「シンデレラルーム」といって、専門学校から協力を仰いで、ヘアメイクをしてもらうコーナーがありました。近所のちびっ子や、女子大生に無料でへアメイクをやってもらう。もともとは OG の先輩のお姉さんが美容系の専門学校に行っている人がいて、じゃあコラボやろうってはじまった企画でした。
ありがたいお話ですね。
でも、私たちの前の年が本当にひどくって、あんまり人が来なかった。
それがわかっているから、今まで 20 人くらい派遣してくださっていたのに、「5人くらいしか人が出せません」と言われてしまい…。他のメンバーは、各々協賛企業に電話する人、学内の出店の調整をする人、芸能人を呼ぶ人で、手がいっぱいになっていて。このコーナーは「やる!」って決まってたので、私が市内の専門学校に全部電話して、アポを取って、企画を持っていきました。「これタダですが、交通費だけは出すので、どうにかやってもらえないでしょうか」って、いろんなところに行って。ひとつ、専門学校ではなくて、高校生からでも入れる学校があって。そこの先生に、「高校生の学年の子は一般のお客さんと触れ合う機会がなかったので、こういう企画を待ってました」と言っていただけました。
なるほど!
その学校に引き受けてもらって、いまでも続いています。人もいっぱい出してくれて、クオリティも高いし、年に一回の、向こうも行事みたくなったから、すごい気合いが入っていて。前の年よりも倍くらいの人数がコーナーに来るようになりました。
Win-Win の関係に。
Win-Win の関係になったから、良かったなっていうのがありました。
では、1・2年がつまらなくて、3年生だけが牛耳ってるという実行委員の伝統を打破したんですね。
打破しました。やっているのを見るのじゃなくて、みんながちゃんとやれるように。グループもちゃんと作って、みんなに、担当を振って。
メンバーが増えたんじゃないですか?
私が委員長をやった時の1年生の子と会った時に、「今は部員が 40 人くらいになっています」と言われました。「カナさんの引き継ぎノート、今でも2年分しっかりちゃんと持ってます」ってその子に言われて。ノートも役に立って良かったです。
ちなみにバイトは何かしていたんですか?
大学2年生から、スタバで働きました。高校生の時から、「スタバで働きたいな」と思ってて。日本で 10 本の指に入るくらい忙しくて、売上げもある店舗だと知らずに入りました。そこに入ったら女職場で。年齢もさまざまな女子がいっぱいいて。そこでもやっぱりうまくやれたのは、やっぱり、藤のおかげ。色んな女子と触れ合うことが、結構大きい学びだったかなって思います。
では、1年生の時は何もせず?
1年生の時は、藤女子の大学って、0.5 単位とかもあったんです。英文科は。
45 分出て 0.5 単位。
だからテストも多くて、ぎちぎちだったんで。勉強はちゃんとして、がんばらなきゃと思ったんです。なので、定期的に野球とかライブとかの物販とか、単発のバイトを1年間くらいしました。
すこし余裕ができてから働き始めたんですね。
実は、スタバは何軒か受けて落ちたんです。パルコ店も、南1条店も。最後に、もうここ落ちたら、合わないからやめようと思っていたら、たまたま面接してくれた方もいい方だし、私の大学の友達もそこで働いていて、「めっちゃいい子だから一緒に働きたいです」って言ってくれたんです。それでどうにか入社した。
これがいろいろと覚えることもたくさんあって、忙しい店でなかなか周りにも聞けなくていっぱいいっぱいになっていたんです。その時は店長さんがいい人で私が入る時に、同じタイミングで店長で異動になってきたので、その人からしたら私が1期生。
なるほど。教え子1期生。
だから、いろいろと相談に乗ってくれたり、先輩でも話を聞いてくれる人がいて話していくうちに、頑張ろうと。
皆さん優しい方でした。
一個だけ最後に聞きたいんですが、大学祭に呼んだ芸能人は誰でしたか?
1年生の時は坂口健太郎さん。2年目が、中村蒼さん。私の代は、元「KAT-TUN」の田口淳之助さんでした。
選ぶ時って、それぞれの大学の事務局に向けて、芸能プロダクションから案内が来るんですか?
仲介会社みたいな人がいて。そこの人と私、トーク担当みたいな女子3人くらいで。まず最初に第1会議。こういうラインナップがあります。絶対無理な人はこの人たちですと。
田口淳之助さん、ジャニーズファンとしても、嬉しかったですか?
そうですね。一緒に写真も撮ってもらって。次の年の子たちはよりがんばって、吉沢亮さんを呼んでました。
すごい!大河の「渋沢栄一」じゃないですか。
吉沢亮さんは、異例の2階席まで開けるっていう偉業を成し遂げました。消防法ぎりぎりのところまで人を入れました。
小学生の保護者のみなさまへ、メッセージをお願いします。
女子校っていうと、ドラマとか漫画のイメージで、すごいカースト制がすごいあって、いじめとかもあるんじゃないかってたぶん心配する人も多いんじゃないかと思いますけど、意外とそういうのはないと思います。みんな男勝りです。
みんなで団結して教壇運ぶくらいのガテン系女子がいっぱい集まっています。
そして、何といってもみんな優しいですね。人を思いやることができる、素直な子が多いです。
撮影場所:SAPPORO Incubation Hub DRIVE
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/高橋 巧