なにやっているかわからない!(笑)
っていう20代から夢がはじまった
「藤女子の6年間が、今の私の基礎になっている。」
そう語ってくれた外山安樹子さん。
彼女は、一直線にジャズピアニストを目指したわけではありませんでした。
では、どのように道が開けていったのでしょうか?
ピアノとの出会いは?
6歳の時、地元の音楽教室で14歳の女の子がつくった曲をきいて、「自分もつくりたい!」と思ったことがきっかけでした。
高校一年の時に自作曲でフランスに演奏旅行に行く機会をいただき、現地のフランス国立放送管弦楽団と共演できて夢のような演奏旅行だったのですが…
そこでもうやれることはやったかな、って踏ん切りがついてしまって、一回ピアノとは離れたくなったんです。それまでは学校の行事とか休みも友達との遊びも犠牲にしてピアノをやっていたので…。
ピアノから離れて何をしようと思ったのですか?
古典文学や小説が好きだったので国語教師になるか文学研究がしたくて、文学部を志望しました。浪人のときにもう少し社会に直接コミットしていきたい、となって、法学部を志望し、「弁護士か裁判官になりたい!」と思って勉強していました。両方受けて、両方受かって。早稲田の法学部に行きました。東京に出ていろいろ揉まれ、司法試験を受け始めたのですが、かなりシビアな試験なので精神的にまいってしまって…。そしたら母親が、「またピアノでもはじめたら?」って。
そこでピアノに「再会」するわけですね。
22~23歳でした。
司法試験は?
司法試験は在学中から含めて3回受けました。勉強を続けながら合間にジャズピアノ教室に通ったりして。試験受けるのを一回休んで1年間OLもしました。
OLですか?
法律と関係のない営業事務をやっていました。そこで社会常識を教えていただきましたね。お茶はこうして出すとか、電話対応とか、会議資料の作り方とか・・・ちょこちょこ勉強もしつつ。でも…もう一回(試験を)受ける前に結婚しまして(笑)
結婚!
ジャズピアノ教室でいまの夫と出会ったんです。生徒同士だったんですけど。
運命ですね。ジャズにも伴侶にも出会い。卒業後ジャズに出会い、司法試験も受けつつ、OLもしつつ、教室にも通いつつ、結婚もしつつ。怒涛の20代前半ですね。
なにやってるのかわからないっていう(笑)でも必死で道を模索しつつやりたいことをやっていましたね。
凝縮されてますね。
結婚してからまた一回司法試験を受けたんですが、その後司法試験制度が変わったんです。
法科大学院?
そうなんですよ。「ここからまた大学か。いまの自分の状況じゃ厳しいな」と悩んで。周りの人の意見も聞いたけど、「最後は自分のやりたいことをしなさい」ってみんなに言われて。ジャズピアノはその頃すごく面白くなっていたので、「プロになりたい!」と思って。27~28歳くらいですね。ここが一番しんどかったですね、いま思うと。
※法科大学院=裁判官や弁護士などの質の向上を目指し2004年に創設された大学院。
これに伴い司法試験の受験資格なども改定されている。
20代前半にいろんな経験をしたことで本当にやりたいことがしぼられてきた感じ?
ピアノがやっぱり好きなんだなって。ジャズがすごい肌にあってて気分転換にやってたんだけど、「もっと真剣にやりたい!」と思うようになりました。
自らの思いを形にするため、いろいろな事へチャレンジしてきた外山さん。
HPをみてくれている小学生に対して一言いただけますか?
のびのびできる学校です。将来のことはまだ考えられなくても、入っていろんなことを体験できるから、自分の世界が広がる学校なんじゃないかな、と思います。
いろんな道を歩みましたもんね。外山さんも。
そうですね(笑)好奇心が旺盛だったというのもありますけど。藤での6年間が今の私の礎になってるな、って改めて思います。
撮影場所:くう
撮影協力:山本 弘市(くうオーナー)
インタビュアー/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/松永 大輔
デザイン/清水 麻美