「迷ったら、困難な道を行け」という言葉がすごく好き
「目立たないようにしよう」を信条に過ごしてきた中高時代。
夢がないまま、藤女子大学へ進学します。
そんな彼女が、「ミス日本2016」に挑戦?!
森田さんを変えたものとは…?
大学に入った後のことを教えてください。
生活はけっこうガラッと変わったと思います。
それはどうして?
北大のサッカー部に藤の友達と入って。授業が終わったらすぐに部活へ行って(笑)。週4~5日。人生の9割が部活でした。頭の中も。
なぜサッカー部だったのでしょう?
高2の時に日本代表がAFCアジアカップで優勝して、それを観ていた時に自分でもびっくりするくらい、もの凄く感動して。それを支えてるスタッフのドキュメントみたいなものをニュースか何かで観て感銘を受けて、「誰かを支えていきたい」「チームが優勝した時の喜びを味わってみたい」という気持ちになって。もう高校の時から、大学へ入学したら絶対サッカー部に入ろうと思ってたんですよ。
「北大生と付き合いたいから」とかではなく。
うーん…それもちょっとあったかな(笑)?でも入部してすごく彼らに影響を受けて、更に今があるなと。
どんな影響を受けたんですか。
医学部サッカー部だったんですけど。彼らって、「医学部です(眼鏡をあげるジェスチャー付)。カリカリ…」みたいなイメージがあると思うんですけど。
ないです…。
ないですか?!私はあったんですけど…。
サッカー部に入ったら、勉強もある中で週に5日間部活をやって、さらに「アメリカ縦断してみよう」とか、思いついて餅つき大会をそのへんで突然はじめてみるとか、木を掘り起こして何か作るとか、そういうクリエイティブな思考を持ってる人が大勢いて。そんな人たちの中で週5日とか過ごして、守りの精神で暮らしてきた身の私は、「すごいな」「私もこうなりたい」っていうのがあったんです。だから変われたのは彼らのおかげかなと思うし。学力の面でもレベルの高い人たちと4年間付き合ってきたので、「ちゃんと就職しなきゃな」っていうのもありました(笑)。彼らと過ごしてきた4年間に恥じないようにしようと。
対等になりたい、という気持ちでしょうか。
どっかで勘違いして、自分も同じだと思っちゃってたとこもちょっとあると思います。でも、それが私を動かした。
在学中に、日本サッカー協会公認4級審判員の資格を取得していますね。
そうですね。「誰かマネージャーとったら?」となって。途中で部活を辞めちゃう子もいる中で、けっこう熱心に活動していたので。
ミス日本2016にも挑戦しました。
マネージャーの先輩が道内のテレビ局の総合職に受かって。その先輩に、「夢がなくて、就活困ってて、どうしたらいいんでしょう」と相談した時に、「頑張ったと自信を持って言えることがないと、厳しいよ」と言われて。「部活のマネージャー」というのは、就職で意外とマイナスになることが多いんですよね。こっちがどれだけ本気で打ち込んできたとしても、「キャーがんばってー」ってマスコットのような存在だっただけなんじゃないか?って採用側から思われることがあって。
医学部のサッカー部なら、なおさら…。
そうです。だから、「マネージャーはPRにならない」「ミスコンとかどうかな?」という話になって。でも、ミスコンに出るとなると人前で話さなきゃいけない。
初めて自分の意志で「人前に出よう」と決意したわけですね。
大きな決断でした。
「美の追求」はどのように行ったのですか?
でもそんな…ジムには通いました。
だんだん磨かれていくわけですよね。
それは向こうで研修みたいな形で学んで、本番に臨んでたんですけど。「学生時代に打ち込んできたこと」を作るため、完全に就職目的で受けたっていう感じですね。
先輩のアドバイスを実行した結果がミスコンだったわけですね。
だから、その時点でもう私は変わってたってことなんです。「人前に出れた」っていう。
参加することに意義があった「ミス日本」で、ファイナリストになりましたよね?
13人に入り、そこから選ばれる5人には入らなかったという感じですね。
その後、世界は変わりましたか?
変わりましたね。北海道代表に選ばれたあと月1で東京に集まって、省庁に行って話を聴いたり、外交官や画家さん、日本舞踊の授業を受けたりだとか、あとはプロの講師とスピーチの練習をしたり…学びの連続で刺激的な日々でした。そして、そこでだいぶ大勢の前で話せるようになったというか…なんでしょう、別に自分の本当の性格じゃなくても、偽りでもいいからやってみようという意識は出てきたかな…。疑問は感じながらも。「これ本当の自分じゃない」「無理してる」って意識はありましたけど。私全然緊張してませんよ、というのも無理してるのはわかってるんですけど、でも無理してやっていくうちにそれが本当の自分になるんじゃないかな、みないのもあって。そこから物怖じしなくなったんですよね。
親御さんの反応はどうでしたか?
ずっと応援してくれていました。いろんな面で協力してくれましたね。
家に写真を飾ってあるのでは?
はい、ありますね(笑)
東京に何度か行くようになっても、東京での就職は考えなかったのですか?キー局とか。
キー局なんてそんなレベルでは全然ないことはわかってましたし、北海道のアナウンサーになりたいなって思いもありましたしね。アナウンサーになる人って、ずっとアナウンススクールに通ってたり、昔から出るのが好きっていう人ばっかりなので。だから超レアケースです。レアケースなアナウンサーだと思います。
でもそれが、誰かの勇気になるかもしれませんね。
「こんな人でも頑張り次第でなれるよ」って言いたいんですよ。
ミスコン挑戦中に、「アナウンサーになろう」と決めたんですか?
その後くらいですね。そこで多分快感を覚えたというか、自分も人前でなにかできるんだって自信が持てたというか、少し。ちょっと殻がパカっとやぶれて、「アナウンサー目指そうかな」って。
受けた局は?
北海道の4局だけですね。その年アナウンス職を募集してた4局をすべて受け。
全部受かりましたか?
いえいえいえ。まさか!全部落ち。最後がHBCだったんですけど、他が落ちてると自信も無くすし、あと周りの受験生たちって、受験前に「あいうえお」とかやりはじめて。
発声練習を。
だから、「これはもうだめだ…」って。HBCの最終試験も、行くの辞めようと思ってたくらいなんです。「どうせ落ちるから」って。でも「まあ、行って失うものはないか!」という開き直った感じで受けて。で、受かったという感じです。
行くのをやめようかと思った面接に行ってみて、その日は手ごたえを感じたのですか。
わかるものなんですね。やっぱり落ちた局って、面接でしゃべっている時点で「なんか合わないな」「この人、わたしを採る気ないな」とわかったし、すれ違う社員の方と話しても、何かわかる…言葉でうまく言い表せないですけど…ビビッとこないというか。
他の局ではあった違和感が、HBCにはなかった?
はい。最初から波長が合うというか、心地よくて、会社にいるのも。面接のときも、なんかこう、しっかり会話のキャッチボールができるというか。きっと、何かわかるんですよ。ほかの一般企業も何社も受けたんですけど「ここは進みそう」とか、「ここはダメだな」とかいうのが直感でわかる。
HBCさんでは、特にピンときたわけですね。
「この人と働きたい」と思ってくれてるし、私も「ここで働きたい」というのがあるんだなって。よく就職のときに聞くんですよ、「就職は恋愛だ」とか。
でも本当にそれは受けてみてわかりましたね。相思相愛。だから今の会社はすごく雰囲気が自分に合ってるんです。
同期のアナウンサーは何人なんですか?
アナウンサーはいない、一人なんですよ。
「一人枠」ですか?ものすごい倍率じゃないですか!
わかんないですけど…。でもびっくりです本当に。「何で私が受かったんだろう!?」っていう。
でも、こんな素敵な女性が面接に現れたら…。
いやいやいや。
ちなみに、自分でどんな準備をしたんですか?
いろんな企業を受ける中で、受かる可能性が低いアナウンサーの試験のためだけに時間を割くリスクも考えて…特段なにかしたということはないんです。だから、ミス日本で得たスピーチ力や事前勉強会での経験とか、礼儀作法とか、もうそういうものをアピールして出すしかないなみたいな。あとは、新聞を読むとか北海道のことを勉強するとかですね。気になる北海道関連の記事をスクラップして自分の意見を書き出してました。
藤の「スクラップノート」みたいですね。
たしかに、それが役立ったのかもしれません(笑)
あとは、企業研究とかSPI試験の勉強に専念しました。特に私は数学がほんとに苦手でしたし高1以来やってなかったので、SPIの数学の勉強は必死でした…。
適性検査をクリアしないと、面接にも呼ばれませんからね。
だからそういう意味では、テレビ局だからとかアナウンサーだからとかあまり関係なく、ほかの企業や職種を受ける人と変わらなかったと思いますね。
逆に言えば、大学の部活とかミス日本とか、他の人にはない経験をしてきたぞ!わたしにはアピールできることはあるぞ!っていう自信はどこか心の中にあったのかも知れないですね…。
ペーパーさえクリアすれば、自分の強みを発揮できる場へ進めますから。
そうですね。アナウンス技術うんぬんより、他の部分、私の内面をみてくれた今の会社に感謝です。
森田さんの場合はご自身でもレアケースとおっしゃっていますが、アナウンス部の先輩や後輩は、どのような準備をして就職試験に臨んでいるのでしょうか?
基本的にはアナウンススクールに通っているのではないかと思います。実際に同じ系列の同期や周りのアナウンサーをみても通っていなかったという人はほとんどいないかも。中には、地方から何時間もかけて毎週東京のスクールに通ってた人もいたり…スクールに行っている事が合否に関係するのかは採用側に聞かないとわからないですけれど。でも、勉強してきたぞ!っていう自信とかが面接などでは表れるのかもしれないですね…。その点、私は自信がなかったですから(笑)
内定が出てから同じTBS系列の同期入社のひとたちが集まって4日間の研修があったんですけど、もう本当に私は大変でした。みんな慣れた感じで発声練習を始めたり、原稿が配られたらサラサラと点とか線とかを鉛筆で書いて印を付け始めたり。基本的な知識を押さえている人ばかりでした。
森田さんの「ミス日本」のように、何か突出した経験を持つ方も多いでしょう。
そうですね。大学でラジオやってましたとか、報道研究会とか放送系のサークルに入ってましたという人、あとミスコンはかなり多いですね。就職のときのアピールになるのもそうですが、単純に人前で話したりすることが好きだし楽しいんです、アナウンサーを目指す人はきっと。
たしかに、大学主催のミスコン出身者のイメージがあります。森田さんはどうして「ミス日本」を選んだのですか?
ファイナリストになってから行われる勉強会が魅力的で。これは「ミス日本」も一番強みとして考えているものだと思います。ミス日本は外見より、日本人女性としての内面を磨くことに重きを置いている大会なんです。
それは素敵ですね。
話が戻っちゃいますが、それまでの私は話すことに対してのコンプレックスがあって。人前でしゃべることへの苦手意識。でも、そのコンプレックスを抱えたまま生きていくのが嫌で。就職という形でわざわざ自分にとって困難な、嫌な方に入り込んでいって、それを直したいっていう気持ちがあったかもしれません。
キリスト教の学びが生きていますね。マタイ伝に「狭き門より入りなさい」とありますから。
私、「迷ったら、困難な道を行け」という言葉がすごく好きなんですけど、誰に教えられたのか覚えてなくて。
宗教の時間だったのかもしれませんね。
だからなんか…人生をぐちゃっと固めたとして、切った時に、スカスカじゃなくて、みっちり詰まった人生が良くて。
パテのような。
そう、パテのように濃密な。それがたとえ辛かったこととか挫折したこと、後悔したことが詰まっていたとしてもそれでいいから、守りに入ってリスクを負わないスカスカな状態よりは、そっちのほうがいいって思って。今の仕事を選びましたね。
今も、話すことは嫌なのですか?
いや、もう全く。全然平気!環境なんですかね。ミスコンの後からですかね、就活の時はもう大丈夫でした。グループディスカッションとかでもバーッてしゃべるし。まだ半分、ちょっと作った自分だったかもしれないですけど。「話せる人ぶってる」というのはあったかもしれないですけど。緊張したりはなかったですね。
森田さんは、きっと真面目なんですね。そういう風に演技調でやりすごすことは「ちょっとずるい」と思っているんですね。
私…自分で言うのもなんなんですが、とても根が…真面目なんだと思います(笑)
「わたしちょっとずるいところがあって」と前置きしてお話しますが、話を聞くと「全然ずるくない…」と思って聞いていました。
そうなのか…。じゃあ、ちょっと気にしすぎというか…。
正義感が強いんでしょう。
う~ん。そうなんですかね。
在校生に対してメッセージをお願いします。
いまは自信ないと思っていることとか、苦手だなと思っていることもいっぱいあると思うんですが、でも変えようと思ったら自分の行動次第でいくらでも変えていけるっていうのは、自分が証明になるんじゃないかな(笑)っていうのはあって。人生は選択の繰り返しって言いますけど、ひとつ思い切った選択を、ちょっとリスクがあってもとりあえず勇気を出して行動してみたら人生ってガラッと変わることもあるから。そこは自信を持ってほしい。今悩んでる人がいても、大丈夫だよっていうのは言いたいですね。「私を見て」って。
撮影場所:北海道放送本社
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/松永 大輔