「茶道部の部長になる」という夢が中3くらいで芽生えた
中3で「人生の友」に出会った若井さん。
同じ時期、部活動でもゆずれない夢を持つようになります。
彼女の希望は実現するのでしょうか?
そして高校卒業後の志望は…。
茶道をやっていて、よかったな、と思うことはなんですか?
1年生から6年生までずっと続けて。つらいこともあったんですけど、「先輩きびしい」とか「毎日同じことしてて、自分は成長してるのか?」とか、「続ける意味あるのかな」「やめようかな」って思った時があったんですけど、諦めるのは今後のためにもならないと思って。続けることが大事だなって思いなおして。
えらいですね。
継続することをがんばったのと、あとは、「茶道部の部長になる」という夢が中3くらいで芽生えたんです。「先輩カッコイイな」って。茶道部って人数多いじゃないですか。みんなを束ねるっていう経験をしたことがなかったので。
委員とか、指揮者とかの経験は…。
ないです。人前に立つこと嫌なんですよ。恥ずかしくて。ハキハキしてる人の横にいるスタンスで。サポート系が好きなので。
でも一度くらいは…。
やってみようと思って。当時部長に適している人が3人くらいいたんですね。
Kさんとは、中1 からずっと一緒で仲が良かったからこそ意見のぶつかり合いもありました、当時は(笑)。それにIさんもいて。「Iさんでしょ部長は」って流れだったんですよ。
たしかに。
でもIさん色んな部活掛け持ちしてて忙しくて。華道部もやってたり。ただ、当時は完璧なIさんの存在がこわくて。
ではあなたは部長になるためにどんな努力をしたのですか?
休まないもそうですし、家に棗や茶筅はあったので、家でお茶を点てて。
お抹茶買って?
買ってましたね。二世帯なので祖父母に飲んでもらってました。
孫が点てたお茶飲めるなんて、うれしかったでしょうね。
そうですね。
地道な努力を続け。部長はどうやって決まるのですか?
先輩…それこそ友成さん(第8回OGインタビュー)とか、先輩が選ぶんですよ。先生と相談して。「あの子はちゃんとできるからいいんじゃない?」って。
指名なんですね。
だから、先輩たちとも良好な関係を築いている必要があるんですよ。それはもう、社会です。
社会の縮図がここにも。選ばれたのですね。
ましたね。競合せず決まったみたいです。
どういう風に発表されるんですか?
茶道室に呼ばれるんです。高1が高2に呼ばれて。ざーっと畳のところに座って、みんなで。それで「次期部長は○○さん、次期副部長は○○さん、お願いしますね」みたいな感じです。で、そこで世代交代が行われるんです。事前告知なく、当日その場で。
ものすごい緊張しました?
しましたね。泣きそうなくらいうれしかったです。
念願の部長になって、急に怠慢になったりはしなかったですか?
それはなかったです。意外となくて、「部長になったからこそ、がんばろう」って意識で、よりがんばってましたね。なってみてわかったんですが、部長って雑用が多いんです。
例えば?
みんなのお点前とか、歩き方とか、それぞれ分析しながら、「この子は何席目のここにいれよう」と。部員60 人分のシフトを作るんです。それは全部部長が作るんです。バランスよく。あと、「出たい」って直談判してくる子もいるので、その子を優先してあげたりだとか。後輩の希望を聞いて、仲間の意見も取り入れつつ、みんなが納得のいくシフトを。
ライバルが多かったようですが、反発はなかったですか?
Kさんとは、よく言い合いした気がしますね。多分、わたしのやり方に納得がいかなくて、「わたしだったらそうしてたのに」とか。彼女なりに。Kさんとは中1から仲良くて、過ごしてる時間も長くて。家が近かったので学校帰りも一緒なんです。だから「こうしたほうがいい」っていうのを学校帰りにアドバイスくれたりだとか。それはわたしも反省したり。Kさんは、ちゃんと言ってくれる子なので。副部長がKさんで良かったな、って思います。
6年間の思い出っていうと、茶道部が一番大きいです。
6年間続けたことで、所作など、社会にでてから生きたことはありますか?
『6年間茶道部』っていうのが珍しいのか、多少会話が盛り上がることですかね。あんまり実感はないんですが、「茶道部」っていったら、「ぽい」とは言われます(笑)
背筋の良さでしょうか?
あ。それは言われたことあります。「すっとしてるね」とか「背筋いいね」とか。
免状はもってますか?
初級、中級、上級、持ってます。
将来的に自宅で開くとかは考えてないんですか?
当時は考えてたんです。けど………師範になるためには相当なお金がかかるんですよ。
たしかに!ある一定のところまでいくと金銭の世界に…。
上級の免許でも相当かかってます。
授業で思い出に残っていることはなんですか?
勉強は本当に苦手な人間で…集中力がないんですよ(笑)
茶道部では集中してやっていたのに?
たぶんそれで疲れて(笑)。注ぎすぎちゃったんですよ、茶道に。
大学の話をききたいのですが、実は私が上田さんにインタビュ-したいと思ったのはここで。今まで藤の学校見学会で北大や早大へ進学した卒業生たちにお話してもらったことがあるのですが、「そうじゃないひとはどうなんですか」って聞かれることが多くて。上田さんは、「私は大学受験に失敗した」ってはっきり言って、でもいまこんなにすてきなレディになっているから、ぜひお話をききたかったんです。最初希望していた大学はどこだったんですか?
法政大学です。キャリアデザイン学部に行きたくて。親も、「学力が上がるならなんでも」と思ったみたいで、塾を3個ぐらい通っていて。
えー!
今考えたら、すごいお金なんですけど。個別指導と、集団と、自習室が有料で使えるところと…。全部通っても結局失敗して。やっぱり集中力がないんですよ。15 分勉強するとまったく別のことを考え始めて…。
浪人は考えなかったんですか?
須澤先生が担任だったんですけど、「あなたは浪人は向いていない」と。集中力がないから(笑)。「編入という道があるから、もし行きたい大学があるなら、3年次編入しなさい」と言われたんです。
アドバイスを聞いて、納得したんですね。
それで、受けられる大学を探して、短大で。だから、編入するために2年間がんばりました。編入のためには単位をみんなより多く取らなきゃいけなくて、学力もないと編入に響くので、だから、短大に入ってから本当に勉強がんばりましたね。
法政の編入は考えなかったんですか?
うっすら考えたんですけど、調べていくうちに、北海学園大学に広告のゼミがあるって知って。父が、広告代理店の営業で。その影響で「広告もいいな」と思い始めて。今まで専門的に勉強したことがなかったので。英語一本でやっていたから。そういうのも勉強したいなと思い、北海学園の経営学部に3年次編入で入った、という流れですね。
もしCA一本なら、編入先も語学系になるはずですよね。
どこかに父への憧れも捨てきれなかったんでしょうね。
他の人よりお得ですね。2年間英文、2年間広告を学べて。
そうですね。
編入後は、すこしはゆとりができたんですか?
いえ、ある程度単位は認定されるのですが、4年間通っている子たちよりは全然少ないので。文系の3年生ってだいたい学校来なくなるじゃないですか。わたしは3、4年次もずっと学校へ行って他の学年と混ざって受講してました。必死でした。
大学4年間、必死ですね。
必死です(笑)。茶道部もやりながら。
部長になったのですか?
さすがに(笑)学校とバイトが忙しくて、できなかったんですけど。
広告の勉強をしてみて、どうでしたか?
CMってこういう風にできてるんだ、とか。広告には色んな手法があったりだとか、色んな専門用語があったりとか、華やかに見えるけど裏はきっと泥臭い現場なんだろうなとか、気づいたことがいっぱいあったので、実際にそこで働いてみたいな、という気は強まりました。
純粋な憧れだったものが、現実的な進路へ。
そうですね。
大学4年生になってから、就職活動ですか?
当時の就活は3年生から始められたので、3年生からです。CAと広告代理店の二軸でやってました。
CAの夢は、いつ広告代理店に変わったのですか?
就活まで、この夢は持っていて。受けたんですよ、ANA。3次面接で落ちちゃって。その時の面接って、英語も加味で。英語の成績か、面接の評価かわからないですけど、だめだったんです。でも、落ちたからといって、諦めきれないとかではなく、「落ちたなら、しょうがないな」と思って。広告代理店が、最終面接まで残っていて、「わたしはそっちの道に行こう」と思って、きっぱり諦められました。
保護者に向けて、メッセージをお願いします。
卒業後、「藤に行っててよかった」っていう瞬間が何度もあります。あの時先生が言っていた言葉って、あ~今活かされいているなって。社会人になってからも多いですし、進学後も。私短大で英文科でしたけど、(藤の)英語の授業も、ただ座学の英語っていうよりは、ちゃんとコミュニケーションをとる力が養われる授業が多かったので。英文科で第一言語を英語とする先生がたくさんいるなかで、スムーズに会話ができたっていうのは、藤のおかげだと思います。
撮影場所:藤女子中学校・高等学校
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/高橋 巧