進路について OGの活躍
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大学職員 広報 若井有香さん 第3話トップ
第3話

広告代理店って、やっぱりトップ2に行きたい

第一志望の大学を諦め、短大へ進学した若井さん。
学習に励み、無事3年次編入を実現します。
ふたつの夢を天秤にかけ、行き着いた先が広告の仕事でした。
そんな彼女の「仕事」についてせまります。

最初の就職先となった広告代理店の話をきかせてください。

Aという会社で、ウェブ広告代理店です。アフィリエイトっていう…。

広告収入を得る手法のひとつですね。あの頃は、ブログの全盛期でしたから。

そうです。ブロガーに書いてもらってみたいな…。

札幌就職は考えなかったのですか?

札幌に受けたい会社がなく。

広告の主流は東京ですからね。

「広告」となるとなかなかなくて…。

東京へ行くことは、周囲はOKでしたか?

親は「えー、東京?」みたいなリアクションで、今考えると期限付きだったんですよね。「3年くらいで帰ってくるんでしょ?」と。3年経つと親から「そろそろ帰ってこないの?」「帰ってきてこっちでお見合いしなさい」みたいな…(笑)。

若井さん_3-1

お見合いまで用意されていましたか。

(笑)。されそうだったんですよ。そんな勢いで。

大学生で東京に行くかもしれなかった東京にはじめて住んで、どうでしたか?

一人暮らししたくてたまらなかったんです。一人っ子で、全目線が私に降り注ぐんですよ。祖父母も一緒に住んでるので。過保護中の過保護なんです(笑)。
そこから脱出したくて。

成長としてはまっとうな流れですよね。

自分のプライベートがほしいなって。上京して、はじめての一人暮らしになったんですけど、意外とホームシックに陥り…(笑)

第2次ホームシックですね。オーストラリア以来の。

そうなんです…(笑)。親のありがたみ、気にかけてもらっていたありがたみ…ほぼ毎日泣いていましたね。

また?!

「お母さんのごはん食べたい(泣)」って。実際離れたら。

仕事はどうでしたか?

営業職志望で入って、入社した時の研修がものすごくきつくて。入社時に、新卒社員が60 人くらいいるんですが、全員でひたすら電話をかけて。美容室、学校、個人宅…。「本を売ってくれませんか?」っていう電話をするんです。OKなら段ボールを送って、本をつめて送ってもらって、それをネットで販売する…という変な研修が1か月間あって。段ボールの個数で順位を競うんですよ。それで4位だったんです。本当につらすぎて、研修期間にやめちゃう子が何人もいて。泣きながら電話してる子とかいましたね。

若井さん_3-2

ふるい落としの期間なんですね。

多分そうです。

振り返って冷静に分析すると、営業職の適性をはかっていたと。

そうです。

当時は「これのどこが広告の営業なんだ」と。

思ってましたね。「はやく広告のことをやらせてほしい」って。でも、成績を見た時に、「自分って新規営業向いているんだ」ってことに気付いたのと、忍耐力…藤で培った忍耐力(笑)絶対そうなんですよ。あと、負けず嫌いも藤で培ったものです。

研修を経て、お父様とおなじ広告の営業となってどうでしたか?

最初はすごく楽しくて。自分の担当のクライアントさんから「上田さん(旧姓)でよかった」とか「売り上げを上げてくれてありがとう」とか、面と向かって感謝されるのがうれしくて。営業だからノルマもあるんですよ。毎月ノルマ達成の報告会もあるんですけど、それで評価されたりとかして。成績が目に見えるので、楽しかったです。

若井さん_3-3

営業として、有能だったんですね。1位になったことはあるんですか?

なりたかったけど、なれなかったんです。慶應、早稲田、という頭のよい子たちが営業成績もよく…。でも研修結果並んでるなかの4位北海学園で。それはすごいうれしかったんですけど。だから配属されてからがんばろうと思って、月間MVPを取ったり。

北海道から来ていたのはあなただけですか?

北海学園のOBが多いということで、この会社が大学での就職説明会に来ていて。

パイプがあるんですね。

同期に3~4人いましたね。

ちなみに、大学も就職先も、男性が多かったと思いますが、女子校出身者としてどうでしたか?

男性に関しては大学に入ってから慣れたんですけど。その時耐性がつきました。

転職はどうして考えたんですか?

やっぱりアフィリエイトという世界が狭くて、「今後発展していくのかな?」って考えた時にちょっと不安になる自分がいて。広告代理店って、やっぱりトップ2に行きたいじゃないですか。

電通と博報堂ですね。

天下の。行きたいっていうのがあって。ダメもとで。偶然マイナビの転職サイトで見た博報堂が中途採用で出てきて、「これは記念受験だ!」と思って受けたら、受かったんですよ。

枠は1名?

若干名ですね。転職したときの同期でいうと、8人くらいでした。

受かった要因はなんだと思いますか?

開示してくれないんですが。でも、転職エージェントの方にこっそり聞くと、今までの経験が、数字を上げたということもそうなんですけど、人とのコミュニケーションの取り方とか、色んな人に好かれる感じの雰囲気がよかったんじゃないかって、言われ。やっぱり藤の…(笑)

若井さん_3-4

ありがとうございます(笑)。でも、順位にこだわってきたのも、ひとつの実績だったでしょうね。

がんばってよかったです。

博報堂に入ってみてどうでしたか?

やっぱりレベルが…まわりのレベルが高すぎて。

何が違うんでしょう?

地頭のよさと、学歴上の頭のよさの両方があり。アイデアがどんどん出るし、もう本当についていけないんですよ。打ち合わせとか。

いままで楽勝にできていたものが。

そこで多分、自分の挫折だったんですよね。会社行くのもしんどくて。「上田さんは、こういうの経験してないから教えてあげる」って優しい上司に巡り合えてよかったんですけど。勉強会開いてくれて、「CMは~」「視聴率は~」っていうお話をしてもらったんですけど。でもやっぱりレベルが高すぎるので。
できない人間は蹴落としていく世界ですし。

いままでの世界よりも、ずっとそうでしょうね。

「できないヤツには仕事を与えない」って職場だったので。

あからさまな世界ですよね。扱っている単位も大きいですからね…。

運が良かったのかわからないですけど、入った部署でわたしが一番年下で。だからたぶん面倒見てあげようって思う先輩が何人かいて。自分の仕事もこなしながら、つきっきりで教えてくれました。

今までの和気あいあいとした職場から、弱肉強食の世界になって。

本当にそうです。

でもそこで優しい先輩に出会って。

はい。

いつごろ博報堂で独り立ちしたのですか?

「できるな」と思ったことは一度もないです。周りのレベルが高すぎて。「この会社で、” できる” って思うことはきっとないだろうな」って正直思いました。
多分、この人たちに一生勝てないって。でも、やってることは楽しくて。CM制作とか。

若井さん_3-5

私たちが知っているCMに携わったことは?

某通販会社の寝具のCMとか。なので、日本中の人たちが目にする広告をつくる、という夢は叶えられました。

それは、めったにできない経験ですね。

そこは本当に貴重な経験だったので。自分の人生の一部として、かなりの思い出となっています。

そして、そこでいまの伴侶にも出会い…。

そうです。同じ部署にいて、色々と助けてくれて。

結婚を機に博報堂を退社?

結婚をお互い意識するようになって、2018 年6月にわたしがやめました。

では、2年間は博報堂で働いたのですね。辞めることに後悔はなかったですか?

なかったですね。博報堂でなにかしらを経験するというのがひとつの目標だったので。

「働けたらいいな」という気持ちで。

そうです。こんなこと言ったら怒られそうですが。

お父様は誇らしかったのではないでしょうか?

相当喜んでましたね。

なぜ、転職先が大学の事務だったのですか?

職種で選んでたんです。大学の入試課=広報なので。

働いてみて、どうですか?

思ってたよりも忙しくて。広告関係なので。入稿作業とか、撮影とかあったりして。大学事務職員ではあるものの、残業はしますし。でも、頭のなかで、「この時期は忙しいから」とわかっているので。

全国飛び回るんですか?

メイン担当は札幌なので札幌はもちろん、大阪や名古屋にも行きますね。
あとは、試験監督業務や入学説明会とか。だから土日出勤も多いです。

博報堂や、いままでのキャリアが生かされていることはありますか?

今年初めて当校のテレビCM を放映することになったんですけど、メイン担当にしていただきました。テレビCM 業務の経験がある人は大学職員の中で一人もいらっしゃらなかったので、経験が役に立ってるな、参考にされてるな、というのがあります。

挫折したけれども、いま生かされているわけですね。

そうですね。わからないことがあっても、主人にきけば教えてくれますし。

若井さん_3-6

最後に、小学生に向けてメッセージをお願いします。

公立の中学、高校3年間ずつは、たしかにかけがえのない時間だと思うんですけど、それ以上にかけがえのない時間だったなって自信をもって言えるっていうのがあって。大学で出会った子たちって共学だったり中高一貫じゃなかったりするんですけど、「中学の友達とは連絡とってない」とか、中学の思い出がかなり薄いんですよ、みんな。でも私がふり返ったときに1 番思い出に残っているのは中3で、だから中学の思い出もちゃんと残ってるって意味では、6年間同じ環境っていうのは相当大きいですし、完全中高一貫校じゃないと、高校からの入学者もいて、環境が変わってきちゃうじゃないですか。藤は環境がかわらない6年間で、そこはすごくいいところだと思います。それもあって、私は藤にしました。


撮影場所:藤女子中学校・高等学校
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/高橋 巧