機械でやってるくせに中途半端だなって思って(笑)
中高時代、卓球に打ち込んだ佐々木さん。
進路を考えた時、「漆」の道が目の前に現れます。
どのようにしてその道に辿り着き、
どのように歩き始めたのでしょうか…。
進路を決める時、「漆」を選んだ経緯を教えてください。
なんでだろう…なんか、「絵に向いてないな」って思うことがあって。センスないなって。何か作ってるときの方が好きだったので、「ものづくりしたいな」と。そこから工芸に繋がっていくんですけど…後継者が少ないということもきいていたので、やってみたいなと。工芸でもいろいろあるので迷ったんですけど、北海道の外で学んでみたかったので、「北海道にないもの」を。
本州の工芸、本州の大学と考えた結果だったのですね。
それもありましたし、でもずっと漆も気になっていて。
若いのにすごいです。ご家庭で漆の道具が多かったとか?
祖母が茶道をしている関係で、お棗とかがあったんです。ある時に、漆で絵が描いてあるお棗のひとつが気になったんです。その絵が、色が塗ってあるところと線でふちどりしてあるところが、ずれてたんですよ。手作業でぶれたような感じでもなく。それがすごく気になって聞いてみたら、「プリントやってるときに、ずれたんだ」って聞いて、とても衝撃だったんですよ。人が、ひとつずつ作ってるもんだと思ってたのに、今は機械でやってるんだと思って。しかも、機械でやってるくせに中途半端だなって思って(笑)
人間より精密じゃないのかと。機械のいいところは精密さのはずだぞと。
(笑)なんか、「こんな中途半端なものが今出回ってるんだ」と思って、小学生ですけど(笑)
「今後、どんどんこうなっていくんだ…」って、謎の強迫観念ができて、それはその時で一回終わったんですけど、ずっとどこかに引っかかってたんでしょうね。「漆、面白そうかな」って。
それは、高2の時ですか?
高1くらいだったと思いますね。親に「漆やりたい」といってからは、「ちょっとでも体験しておいたほうがいいんじゃないの?」ということで、近くで漆体験出来るところを探したのですが、なくて。代わりに朝日カルチャーで日本画を習い始めました。これは漆に意味があったのかよくわからないけど、日本画も楽しかったですね。でもやっぱり漆がしてみたい。志望大学が決まってからは画塾に通い始めました。
親御さんは、美術系へ進むことに対してはOKだったんですか?
そうですね。美術には理解がありました。実は本当は「もう漆をする」って決めた時に、私は「職人のもとに行く」とか何とか言って(笑)
大学へ行かず。そういう道もありますね。
はい。でも、自分で「この人」っていえるほど調べていたわけでもないですし、調べたら専門学校があったんで、「この漆の専門学校に行きたい!」って言ったら、「ダメ」って言われて。「大学に行った方がいいよ」と。「漆だけで食べていけなかったらどうすんだ」とか「位牌を塗りたいのか」と問われて。確かに漆で「何を」したいのか、考えてなかったかもと思いました。
それで大学を考え始めました。
その結果、京都市立芸術大学に至ったわけですか。
「大学に、ちゃんと行かせてあげるから行ったら」と同時に、「でも本州に行くなら、現役かつ国公立じゃないとダメ」って言われて。
芸術系は、私立は高いですしね。
そうですね。滑り止めとしても受験させてもらえませんでした。だから、落ちたら、本当に「人生終わり」だと思ってたんですよ。本当に。
受験に本腰をいれ始めたのは高2の終わりくらいからで、遅い方だったかもしれません。基本は札幌の画塾に通って、夏・冬・春休みなどの大型の休みを利用して、京都の画塾にも通っていました。
画塾の日は、帰宅も遅くなりますね。
学校終わってから画塾に行く日の帰宅は 22 時ごろですかね。18 時ごろから描きはじめて3~4時間、描き終わるのが 21 時というところでしょうか。
センター対策は、画塾のない日に?
そうですね。でも、センターのための勉強というのは、ほとんどしなかったです。学習塾は行ってませんでした。その代わり、藤の授業ちゃんと受けていれば大丈夫だろうと。私文コースだったので、授業中に教わらないセンター対策に関しては、課外授業をとってました。私文コースからも受験する人はいましたが、本当に少数で。私文で受験する子たちのためだけに土曜日に授業してくれたりとか。よく覚えているのは苦手な英語を教えてくれた片桐先生ですね。集まってたのは5人くらいでしたが、今考えると、贅沢です。
あまり家でガツガツせず。
藤の授業で、センターの勉強になってました。藤の外では実技対策くらいでした。さすがにセンターの直前とかは焦ってドリルしたりしましたが。
模試で手ごたえはあったのですか?
得意・不得意な問題によって、上がったり、下がったりしてました。一概に言えなかったですね。受験する大学は学科だけじゃなく実技も大事だったので、模試での手ごたえは特になかったです。結果はあまり気にしないで、間違った問題の解説を読むのが私にとっての模試の意義でした。
受験日のことは覚えていますか?
画塾でもうまいほうではなかったので、実技も不安でした。京芸は一番実技科目が多い学校と言われてて。4つやらなきゃいけないんですよ(注:現在は3つ)。デッサン、水彩、平面構成、あと立体。デッサンと水彩は点数取れないねって言われてて。
画塾でいい点数とったことなかったです。まあ立体はなんとかなりそうで、だから「立体がんばれ」って言われてたのに、立体ボロボロだったんですよ。立体大コケしました。文字通り立たなくて(笑)
1日目がデッサン。2日目が水彩と平面構成、3日目の立体が最後で、得意の立体にどうしようもない作品提出して、「ああ、もうだめだ、落ちた~」。で、京芸の校門の外で号泣してました。泣きながら友達に電話しました。指定校推薦で同志社大学に受かってた卓球仲間で、「一緒に京都行こうね☆」って言ってたんですよ。もう泣きながら「死にたい。消えてしまいたい」。人生のシャッターがそこで…。そしたら電話口ですごい怒られて。「そんなこと言って、まだ結果わかんないのに」
正しいよね藤の友達って、本当のこというよね。
「ちゃんと帰ってきて」って言われて。
親御さんには電話はしなかったんですか?
親にもしました。「ダメだったかもしんない…」。あまり覚えてないですけど、「無事に終わったんだから帰ってきなさい」と。絶望的な気持ちで帰りました。でもふたを開けてみたら、合格してて。苦手だって言われてたデッサンと水彩のほうが点数高かったです。
第一志望の大学に入って、どうでしたか?
そうですね、やっぱり…念願だったんで、楽しかったですね。
大学はどんな雰囲気なんですか?
まず校舎が古くて。しかも位置は京都市の端の端でした。キレイな校舎で、キラキラした大学生活、みたいなのとは違う感じでした。
男女比率は?
8:1で、女子が多いです。
8:1で女子が多いなら、華やかな感じになるのではないですか?
…芸術大学なので、音楽と美術があるんですけど、ごく少数のキラキラしてる女子は音楽の子だけでしたね(笑)
入学後すぐに、漆を学ぶのですか?
いえ、いきなり漆を学べるわけではありませんでした。
これが京芸の特色と言われているところなんですけど、最初の半年は、美術学部生、学科を問わず全員まぜこぜで同じ共通の課題をやるんです。
課題とは?
その時によって、先生が考えるので色々なんですけど、「学内のスケッチ」みたいな個人単位でやるものから、グループでやらなきゃいけないこともあって。「立版古」っていう紙のミニチュアを個人で作ったのち、グループで一つの人間が入れる大きなサイズのものをつくったり。
あと記憶によく残っているのは「無人島で生きる」というテーマで、漂着物や、ゴミみたいなものからコミュニティがまわりやすくなるものをつくるという課題。チームによってそれぞれで、宗教をつくったり、抱き枕をつくったり…。大学入って、ゴミと木を結わえたりして、しかもグループで。いったい何してるんだ、という思いもありましたが、楽しかったです。その8ヶ月後くらいに東日本大震災が起きるんですが、被災地でどう過ごすか、崩壊したコミュニティをどうしていくか、みたいな課題が全国的におきるわけなんですが、京芸全部が、またあらゆる芸術家たちがそういうことに取り組んでいた記憶があります。いや、今も取り組んでいます。芸術って、社会の役にたたないと思われていることが多いと思うんですけど、そういうことのために準備している人たちなんだな、と感じましたね。
入学後の半年間は、そうやって専門を越えて過ごすわけですね。
他の専攻の子と仲良くなるためって、言われてますね。美術学部全体で130人くらいです。
後半の半年は?
入学時は工芸科とまでしか決まっていなくて、2回生になるときに専攻をきめます。なので、後半はそれぞれの専攻だけで一クラスになって、工芸科は3専攻の、漆工、陶磁器、染織を一通り体験してみます。一通り全部体験してから、やっぱり漆に決めました。
やってみて、決め手はなんだったんでしょう。
う~ん。陶磁器は、地元でも体験したことはあって。
あるの?!
江別だったからかな…(笑)
レンガの町、焼き物の町ですもんね。
ちょっとした体験だけですが…でも、「土は苦手だな」と思ったんですね。思ってる仕上がりにならない感じがして。
分かり合えなかったのね、土と。
はい。でも、布はけっこう好きだったんですよ。編み物とか、縫い物とかも好きだったんで。母の実家が洋品店なのもあったと思います。かなり迷ったのですが、「趣味でいいや」と思って染織は選びませんでした。
みなさんと、「どうして漆を選んだの」という話はしたのですか?
けっこうみんな色々でしたね。家業が漆の人とか、家具作りたいとか。私は入学前からほぼ漆に決まってましたが、入学してから漆に決める人もいました。
漆を選択する方は何人くらいいらっしゃるんですか?
漆の人は…10 人くらい。私の学年は多い方で、15 人くらいいましたね。そのうち男性は4人、これも比較的多い方です。
念願の漆をはじめて専門的に学んだ時のことを教えてください。
2回生の1年間全部通して、複数の作品を同時に進めて、やっとそれらが作品として出来上がります。「これがこうなるのか」とわかったくらいで。先生の通りにすすめてみるだけ…自分のやりたい表現とかまで、全然いかなかったです。そこから、3年生と4年生は、自由制作になるんですけど。
授業、ないの?!
授業ですか…?ほとんど、ないに等しいです。制作するんです。
学科の授業は午前中に2クラス、午後からは自由制作という感じです。
1年学んだ工程をもとに、好きなものを。
そうです。
「百人一首」は3年生の時の作品ですか?
あれは、大変でした…。
1年しか学んでいないのに、あんなに様々な手法を、なぜ駆使することができたのですか?
変り塗りという技法なのですが、3回生の前半にゼミで少し教えてもらって。
興味が出て、先生に、変り塗りの方法がたくさん載っている古い本をコピーしてもらって取り組みました。「自分に今なにができるんだろう」という、力試しじゃないですけど。
百人一首を作るために色々な手法を?それとも色々な手法を試したくて百人一首という題材を選んだのですか?
紙の百人一首しか知らなければ、百人一首にはしなかったかもしれません。藤の百人一首大会でふれてから、百人一首もずっと好きでした。あの時も全然とれなくて、燃えてましたね(笑)。本州の人たちが木札のものを知らなかったこともあって、道産子のアイデンティティとしてこの木札を漆で塗って、詠まれた詩を表現したいと思ったんです。技術的にはまだまだで、アラがたくさんありますが。
手ごたえを感じて、「これが職業になるんだな」と思ったのはいつごろですか?
それは、院生になってからですかね…。
院に進んだのですね。親御さんから「帰ってこい」とかはなかったんですか?
ないです。就職しないことについては心配していたみたいですが。
院に進まなかった同級生たちは、漆関連の仕事につくのですか?
しようとおもったらできると思いますけど。でも私の同期にはいなかったですね。
ジュエリーデザイナーとか、インテリアとか、デザイン系に。あと、バーテンダーになった友人もいます。
卒業制作は、どのようなものを作ったんですか?
パネル型の美術作品ばっかり作っていたんですけど。卒業制作は違うものを作りました。まだ院に進めるかわかってないので、「これが漆触る最後になるかもしれない」とちょっと思って。そこで、「ゆくゆく作りたかったけど、卒業したら作れなさそうなものをつくろう」と思って、自分の棺をつくりました。
えっ………?それはお母様の「位牌」云々がどこかに残ってたのかな…。
いやいやいや(笑)そういうわけではありませんが、母には確かによくテレビとか見ながら「これに塗ったらいいでしょ」と言われたりしました。その一つが、ダンボールで出来た棺でした。
じゃあ、佐々木さんの棺はもう用意されてるんだ。
はい、あります。
何色にしたの?
漆のそのままの茶色にしたんですけど。
黒のイメージがありますけど、そのままの色は茶色なんですね。
そうです。元々はべっ甲のような琥珀色をしています。でも、蓋のところは黒にしました。でも側面は和紙、和紙を漆に染ませたもので、あとちょこちょこ自分の人生の絵を描いて(笑)。まだ書き足していく予定なのですが。
焼くんですね。
焼くんです!
もったいない…!でも、この世のものはすべて無に還るんですもんね。
そうです。
棺の評価はどうでしかた?
良かったです。大学の賞をいただきました。ダンボール棺の会社に直接話を聞きに東京に赴くとか、ダンボール棺と漆を使うことでの環境問題への提言などを評価してもらえたのではないでしょうか。
卒業作品展の中で入賞ということですか?何人くらい入賞者がいるんですか?
学年でいうと2~3人…。でも、10人のうちの2人ですけど。
最後に棺を選んだ理由は?
やっぱり大きいので、今後塗りたくても場所がないかと。漆の棺で燃やされたい願望もありました。
今の棺は白木が主流でしょうか。安いからですかね。
出回っている安い白木の棺は、熱帯雨林の違法伐採からできていると、ウィルライフさん(ダンボール棺の会社)に伺いました。また漆に関しては、本当の漆塗りの棺ってないらしいです。それらしい塗り棺っていうのは、カシュー塗料だとかの、別の塗料らしいんです。これは輪島の木地・塗師屋さんにききました。
漆っぽくみせているだけで。では、日本で唯一の漆塗り棺かもしれませんね。
実はそうかもしれません(笑)
小学生の保護者の方にむけて、メッセージをお願いします。
あまり期待しすぎないように、ということでしょうか(笑)。「~しなくちゃいけない」というのではなく、自然にやりたいことを見つけられる環境だと思います。広くいろんなことに触れられるところだと思うので、あとは個々人の頑張り次第で。「やりたい」に答えてくれるところが大きいですね。朝昼晩卓球出来るという遊び面もともかく、私文コースをとった私でも、時間を割いてセンター対策をしてくれた藤は、稀有な学校だったのではと思います。保護者の方は、ゆっくり成長を感じられるのではないでしょうか。
撮影場所:藤女子大学花川キャンパス
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/高橋 巧