「お前そんな暇にしてるんだったら、手伝ってくれないか」
演劇や合唱に注力した藤の6年間。
友人たちと充実した日々を過ごした武田さん。
そんな彼女が志望した卒業後の進路は?
彼女の藤卒業後の歩みをみていきましょう…。
薬学部への進学は、どのように決めたんですか?
違うんです。私、劇団四季に入りたかったんです!
声楽やダンスを習っていたんですか?
ピアノはそこそこ習っていたんですけど。バレエを習いたいと、一番最初に、小学校の時に、体を悪くする前に、お願いをしたら、1か月後に家にピアノが送られてきたんですよ(笑)。昔ですよね~。バレエは習わせたくなかったんですよ。それよりはピアノ。
では、バレエを習っていたら、劇団四季のオーディションを受けたかもしれないですね。
本当に入りたくて。でも、劇団四季をあきらめ、「さあどうしよう」と。理系だったんで、もう、行くとこないんですよ。私、あまりに文系が…特に社会が苦手で。
では、社会がいやだ、という消極的な理由で理系に進んだんですね。
理系にすっごく行きたくって、というわけではなく、学ぶ中で「文系はない」(笑)。当時は、1組から4組まで全部文系だったので、5組しかない。で、やっぱり5組が、みなさんモチベーション高くて、医学部目指す人とかクラスに何人もいましたし。
それで、武田さんは薬剤師を?
推薦というのがある、と。「何?!」って。なおかつ 10 人近くの推薦枠が、北海道薬科大学(現・北海道科学大学)というところから、藤にきてる!
では、薬科大へ。
そして、推薦だから、落ちたら一般入試考えればいいから、とりあえず出してみようと。受かればラッキーだし。…もう、すごい適当ですよね。
大学入学後、勉強は大変でしたか?
勉強は…思い出すと、大変でしたね、たしかに。何がびっくりしたかって、大学入った時に、なんかすっごい堂々とした人がいっぱいいて、「なんでこの人たち偉そうなんだろう?」と思ったら、50 人くらい上から落第してきてるんですよ。
堂々としている人は、先輩だったんですね。
先輩だったんですよ!こんな楽ちんで入って、何も勉強しないで入ったのに、この大学は 50 人も落とす大学なんだ、という洗礼を、入ったとたんに受けて(笑)
楽な道を歩いていたと思ったら…。
いきなり厳しい現実が突き付けられ。「こりゃやばいぞ」と。こりゃ本気で勉強しなきゃいけないと。はじめて。それまで勉強にまじめに取り組んだことがなかったので(笑)
ただ…ずっと制服だったのが私服になるじゃないですか。そしたら私服が嬉しくてしょうがないわけですよ。
自由を、ファッションから感じ。勉強は大変と思いながら…。
一方では、それでもう頭の中がいっぱい。
大学で仲良くなった方たちとは、今でも交流があるんですか?
もちろんです。来年は還暦なので、還暦の旅行に行こうって昨日ラインきて、「どこに行こう?」って。
「先輩たち」をみてびっくりしたけれど、楽しかったんですね。
で、本当に落ちる人って、本当にやってないんですよ。それがわかったんですよ。
講義に来てない、とか。
そう! 普通にちゃんとしてれば、「私は進級できる!」と確信したんですね。
だから、藤の子だれも留年しなかったですよ。根がまじめなんで。誰一人退学もしなかったですし。誰一人留年することなく、全員、薬剤師になってます。
国家試験も一度で。
ええ、受かって。ちゃんと卒業してます。
ちなみに、大学に演劇部はなかったんですか?
なかったんです。そして、大学に入った途端、仕切り根性みたいなのまったくなくなっちゃって。
なんか、ふわ~ってなっちゃって。
部活動は、何部に入られたんですか?
スキー部に入りました。スキーは、高校時代に思い出があって。藤にスキー部はなかったんですけど、友人がみんなスキーが好きで。私は全然出来ないからよせばいいのに、富良野スキー旅行に行っちゃったんですよ。でも、帰るころにはそこそこ滑れるようになったんです。それで私スキーが好きになっちゃって。当時、薬丸先生とか兼八先生とか、高平先生とか、その先生方と私たちスキーに行ってるんですよ。それに私も入ってて。あれすごい楽しかったです~。
先生たちと一緒にスキー!それからもう大好きになりました。
それで大学はスキー部に。
入りました。
大学卒業後は、どうなさったんですか?
それがですね、そもそも薬剤師になりたかったわけじゃないじゃないですか。
それで、「困ったな」と。当時、調剤薬局なんてない時代なので、みんな病院に入っていくわけですよ。どうしようかな~と思ってたときに、大塚製薬の求人票がきて、びっくりするほどお給料がよくって。病院のお給料に比べると賞与もいいし。
民間のほうがよい時代ですね。
ここに決めた!と思って、いけば受かるくらいの勢いで、失敗経験がないんで。行ったら…いまでも覚えてるんですけど、すっごい人で。そこから何人とるって2人しかとらない(笑)。面接官も明らかに「あなた受かるわけない」って対応しかしてくれないわけですよね。で、結果もちろん落ちて。「いや~困ったな~」、大した困ってないんですけど。でも、会社以外私にはない、と思って。
民間会社にしぼったわけですね。
はい。そしたら、歯科器材の会社。メーカーと問屋を両方やってる医療機器メーカー、京都の方に本店がある、その札幌支店の求人だったんですよね。それで、これもだめかもしれないけど、と思って受けにいったら、(大塚製薬と)真逆で、「ほんとにうちでいいんかい」みたいな、そんなノリで。「いいんです、いいんです、よろしくお願いします」って言って。で、お世話になった会社が、その歯科器材の会社。
今でもありますか?
ありますよ。北 12 条に。モリタ歯科器材店っていって。
藤の近くに戻ってきたんですね。
そうなんですよ!戻ってきて。それでそこの会社に入ったら、コンピュータとかの時代ではなくて。山ほどの商品を、問屋業なので、注文がありますよね、電話帳みたいなものから検索ですよね、その商品を。手書きで書きこんで伝票打って経理に回して、みたいな。電話がくれば出て、みたいな。本当に、OLですよね。
そこで、育てられましたね。薬剤師になっていたら、教えられなかったことを、教えられました。
民間会社の世界について。
「湯吞みは中を洗うんじゃなくて、ここだ」だとか。当たり前のようでわからないことを一から、働いてる女性の方たちもみんな私より年上だったし。もう本当にラッキーなことに、みんな仕事のできる女性ばっかりだったんですよ。
厳しくもあり、優しかったです。
そして 26 歳のときに、ついに家業へ?
いえ、学校が出来る前に転職して病院へ勤めました。
薬剤師の資格を生かして。
はい。たまたま求人があった、当時は宮の森脳神経外科っていう病院だったんですけど。
院内調剤ですね。
薬局長がいい方で、事務の方もいい方で、後輩もかわいくて。その病院でもよくしていただいて。何年間かいたんですけど、そこの病院も辞め。
薬剤師として働いてどうでしたか?
ダメでしたね(笑)。すごくよくしてもらったんですけど。私すごいおっちょこちょいなんですよ。「なぜこのアンプルを割るんだ?!」っていうのを…。
物を壊すんですよ。それでこれはちょっと合わないな~と思ってた時に…。だからね、結局続かないんですよ。なんでもやってみたいんですよ、次は、調剤薬局だと(笑)
自分探しですね。
すいません、本当にちゃらんぽらんなんですよ。また、チャレンジしたら、社長さんがすごくよい方で。「ぜひ働いてください!」
人に恵まれていますね。
はい。転職の中で人には本当に恵まれていました。それぞれの場所で育てて頂きました。
入ったんですけど、ちょっと規模の小さい薬局で。2~3人。店舗もいくつか回らせていただいて。あの~、「悪くないな」っていう。患者さんとの距離もすごく近いですし。その方の人生が見えたりね。長く話しても、いいですし。
病院にいると、「いいわよね、薬局は楽で」みたいな、なんか、そういう薬剤と看護部のバチバチみたいなのが(笑)。静かに時間が流れていくし、お友達もできて、過ごしていた中で、いまの主人と結婚をして。一回仕事を辞めて。「やっと仕事をしなくなったな」と思っていたところに、うちの父親が「学校をはじめる」。と「お前そんな暇にしてるんだったら、手伝ってくれないか」と。
こんな性格なので、「面白そうだな」って。やったことないことだし、犬好きだし、っていうくらいなんですけど。「いいよ」と。
手伝うというのは、学生として入ってほしい?それとも経営側ですか?
学校を手伝ってほしい、と言われたんですけど、私、畑違いじゃないですか。兄は獣医なんで、本当は兄に学校のことをやってほしかったんですね、父は。なんだけど、兄はなかなか思うように手伝えなくって、時間のある私が技術を身に付けようと。
ちゃんと自分も技術を持ったうえで、学校の運営に関わらないと、と。
で、トリマー。不器用だけど、2年通えば資格を出してくれるっていうんで。
当時はまだフリースクールで、半日だけだったんですよ。なんで午前中、実家の家業の手伝いして、午後から学校行って、2年間通って資格を取ったんです。
家業の手伝いとは、どんなことをするんですか?
会社のほうの事務です。もともとが、ペット用品の問屋なんで。そこの仕事も手伝い。帳簿付け。学校では、私も学生だったんで手伝うことはできなかったんです。立場上。
では、ペット用品の会社を手伝い、午後から。
学校へ通い。
夜は家事を行い。
まあ子どもがいなかったんで大した家事じゃなかったんですけど。
なかなか子どもができなくって、7年くらい子どもができないまま、その生活をしてたんですよ。学校卒業して、インストラクターになり、なんとなく先生みたいにして、過ごしていたんですが。おかげさまで子どもができて、それでちょっと離れたんですよ、一度。
学校もそろそろ軌道にも乗ったし。
やってくれる人もいたんで。離れていたんですけども、私(子どもが)3人いるんですけど、下がちょっとはなれてるんですよ。上は年子だったんですけど、ちょっと(子育てが)大変な時期は離れていたんですけど、母はまだ元気でしたし、母も(子どもを)見てくれるっていうし、「じゃあ、戻ろっかな」と復帰しました。7年ぐらいのブランクのあと。で、復帰したあとに一番下の娘ができちゃったんで。その時は前みたいに学校離れることはできなかったんで。もう2歳くらいから預かってくれるところを見つけて。
働くお母さんも増えて、保育施設も増え。
そうですそうです。そこに娘をあずけて、そこからは辞めないでずっと。今に至ります。
小学生の保護者のみなさまへメッセージをお願いします。
藤の生活の中では、やっぱり高校受験がなかったことによって、ちょっと私はのんびりしすぎましたけど(笑)、ピアノだとかそういう勉強以外でやってらっしゃる方たちには一貫校って絶対いいと思うんですよね。それでプロになるかどうかはわからないですけど、いまやりたいことを勉強と同じように両立してできる、そういう良さが藤にあると思っています。学校生活に彩りがあることで、未来の可能性が広がる学校だと。
撮影場所:札幌どうぶつ専門学校
インタビュアー・ライター/新山 晃子
カメラ/中村 祐弘
編集/高橋 巧